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悲劇の岩殿城ですよ

Posted on: 2011年6月22日

 岩殿城。武田氏を扱った大河ドラマでは、必ずその名が登場します。

 甲州街道は大月市。難攻不落を誇った、武田氏の有力家臣・小山田氏の居城が、岩殿城です。中世の代表的な山城で、歴史的にも貴重な山。それが、今回の岩殿山です。
 中央道・中央線・甲州街道を西に下れば、その岸壁が目に飛び込みます。切り立った崖は落差150mだそうです。眺望に恵まれない奥武蔵の低山としては、破格の展望を誇ります。しかも、お年寄りでも、駐車場含め入口から山頂までわずか1時間程度のお手軽さ。さらには、稜線には高所感たっぷりの鎖の岩場があり、手ごたえを求めるトレッカーにも充分楽しめます。

 前知識最小限で登ってみて、その見所あふれる山に感服した次第です。さて、その岩殿山のレポートですよ(*^_^*)

 岩殿山は先述の通り、大月市の市街からならどこからでも見えます。駅を降りると、すぐ真北に大きな岩山。一見して、それが登れる山とは思えませんね。登山ガイドを紐解くまで、簡単に登れる山だなんて思っていませんでした。というか、この山が岩殿城だったとも知りませんで(笑)

 ご丁寧に、入口の近くには駐車場があります。車でも楽しめますね。大月は最早、電車で来るより車で来たほうが、楽しめる山は沢山ありそうです。実際、林道の奥深くにも名山が多数あります。車が理想かな。

  整備された岩殿城は、公園として整備されています。お年寄りでも楽しめそうです。とはいえ、頂上との標高差は300m程度はあります。夏場なら、しっかり一汗~二汗かきます。体調管理は万全に。 

 岩の真下まで来ると、そこは丸山公園と書かれています。整備された場所で、資料館などがあります。道中、唯一のトイレがここです。

  資料館を後に、急峻な岩壁を登ります。嘘です(笑) 登山道は、岩壁の左側、西側に付いています。特に急坂とか、下を見ると怖いようなところではありません。子供でも何ら問題ない坂道です。
  途中には大岩の門。その間を縫うように道がついています。まさに天然の要塞ですね。

 1時間かからず、岩の上に登り出ました。凄い眺めです! 

 さっきの資料館も真下に見えます。岸壁にへばりつくように咲いたアザミが健気ですね。遠くには、前に上った三つ峠と、その横に本社ヶ丸。残念ながら、富士山は雲に包まれていました。さすが、あの断崖絶壁の真上とあって、眺めは最高です。そして何より、城としての安心感というか(笑) これだけの高いところ、そう簡単には登って来れません。城としての安心感は絶大なものがありますね。下から見上げた時の不安、どれほどの険しい道かと思わせる威圧感の上に、簡単には屈することのない守りの堅さを、否応なく味わえます。

 この城は江戸時代に於いても尚、重要な拠点として扱われていました。将軍家の万が一の際は、甲州に逃げ落ちる手筈になっていたからで、その際の要の城でもありました。もちろん戦国時代には、甲州・相州・武州の三国に跨る拠点だったことは、言うまでもないですね。

 この城を根城にしていたのは、武田の家臣、小山田氏。東京町田の小山田は、この小山田氏の祖先に当たるようです。町田の小山田氏は中世に栄え、鎌倉以後は離散したようですが、何分古いので私には分かりません。唯一、小山田城の名は地名として残っており、古刹としては趣のあるところですが……閑話休題。

 戦国の世では、武田の家臣として都留の辺りを治めていたようですね。大河ドラマや、歴史ものでは武田氏と共に頻繁に登場する、有力家臣ですが、何よりその名を有名にしているのは、悲しくも下剋上と断絶の歴史。端折って語ると、小山田信茂は武田勝頼が信長に追われ、逃げ延びる際に裏切りを働き、この岩殿城に迎え入れることなく自害に追い遣りました。嫡男を人質に信長に取入ろうと向かいますが、織田信忠から不忠を咎められ、甲斐善光寺で嫡男とともに処刑されました。

 戦国の世ですから、下剋上も処刑も、恐らく日常的な事象だったとは思います。力が制する時代なら、小山田氏は武田信玄になんぞ逆らうことはできなかったでしょうし、勝頼が見込み違いとなれば所領を守る為に、勝頼を見限ることも理に適っています。そして保身を図る為に信長に近寄ったことも当然だし、不忠の罰を受けたのも当たり前といえば当たり前。男というもの、そういう定であれば、潔く生きるべき時代だったと思いますし、小山田に限らず勝頼も、信忠も、何れも自分の信じる義を貫いていて、かっこいいと思います。支配力なんて、持てる力の差でしかありません。どんな武将も、多くの人を従えるだけの、器があったことは、私が語るまでもないですね。

 兵どもの夢の址。そこまでなら、美談。しかしここから先は、悲劇。
 この岩殿城の物語には、もう一つのお話が添えられます。それは、信茂の側室ともいわれる千鳥姫の悲劇。

 伝説によると、千鳥姫は織田家の大軍に包囲された岩殿山城から、信茂の次男「賢一郎」と赤子の「万生丸」を連れて、護衛の小幡太郎らと共に落ち延びました。その最中、万生丸が泣き出したため、小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げて、岩殿山城の断崖から投げ捨てたと言うものです。
 この、万世丸を投げ捨てたといわれている断崖が、「稚児落し」。

 断崖絶壁が目の前にそびえます。谷から吹く風が舞い上がり、木々の葉が揺れています。柵も何もない絶壁には、思わず足も竦みます。

 真上に立つと、その切り立った崖が、まるで自分の命の終焉を迫るような、不思議な感覚に襲われます。それがましてや、大切な主を失い、攻め立てられ逃げる立場ともなれば、最早これまでと思い留まるだろう、そんな恐ろしい絶壁です。
 冷静に眺めてみても、先ほどの岩殿山とはちょっと趣が異なります。岩殿山から命からがら逃げてきたとしたら、既に守りの堅さとは無縁です。後は降るのみで、川沿いに逃れようものなら、捉えられるのがオチ。実際に歩いてみて、その稜線の険しさも心に堪えますし、相次ぐ絶壁に命の軽さを垣間見てしまう、そんな心苦しい道のりでした。

 稚児が落とされた断崖絶壁は、その逸話の通り「稚児落し」と呼ばれています。

 千鳥姫は、良心の呵責に堪えられず、後を追うように自らもここから身を投じたと、伝えられています。

 平和な世が、どれほどありがたいか。稚児落しでは、それまで雲に包まれていた富士山が、突然顔を見せました。霊験鮮かとは、こういうことなのかも知れません。富士を見た瞬間、我に返った思いでした。
 実は、岩殿山の手前、大月駅から桂川を渡る高い橋の上に、花が添えられていました。これについては語るつもりはなかったのですが、稚児落しの伝説と合わせて、他人事には思えなくなってしまいました。

 世が世なら、山の大きさ、自然の偉大さに触れて、人間の小ささを感じていたかも知れない。そんなちっぽけな人間が、たった一人では何もできないこと、虫けら以下のか弱い、どうにもならない存在だと、感じられたかも知れない。でもそんな虫けらが束になって、自然を傷つけていること、また自然の脅威に痛めつけられていること。誰しも必死に生きているし、死にたいと思っている人だって沢山いる中で……。

 生も死も、紙一重だと感じずにはいられません。紙一重だから、必死に生きる。一歩踏み外せば、たやすく消えてしまうのは、どんな生き物も同じ。命を繋ぐ為に、必死にならない生き物なんていません。生きることが簡単だなんて、軽んじるつもりもありませんが、これだけは言えます。死ぬのは、簡単です。滅ぼすのも、簡単です。だからこそ、生きることに価値がある、守ることに、命を繋ぐことに、計り知れない価値があるものと、山に登りながら感じ入るのです。みんな、必死だから。

 麓まで降り、人の匂いが近づくにつれ、不思議と心が安らぐような思いでした。岩殿山、素晴らしい山です。是非一度、登ってみて下さい。

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コメント / トラックバック3件 to "悲劇の岩殿城ですよ"

 素敵な感想と、大月(岩殿山)の良さを、本当によく理解されていたく感激いたしました。毎日、岩殿山、兜岩等、富士山を目にしながらの生活をしていると、それが当たり前になってしまい、作者様のような感慨を持っているか、聞いてみたいものです。
 私は、現職の時に何かあるときには、必ず岩殿山に声をかけて教示を仰いでいました。いろいろのことを教えてもらい、ここに住んでいて本当によかった、と思っております。たとえば、もうおしまいだ、どうしたらいい、呼びかける(心の中で)と、小さい小さい、もう少し別の見方ができないか、このような言葉が返ってくるのです。不思議ですね。ですから退職した今でも、落ち込むことがあると語りかけ言葉をいただいております。
是非とも、お友達の皆様と何度でも、訪問してください。
大月駅周辺にも、魅力的なところはたくさんあります。
浅利地区にある・・・浅利与一地蔵尊(詳細は、石碑に書かれてますがありま                        す)
三島神社(地域の神様・大月の呼名の基となった神社です)・厄行大権現(お薬、特に眼病に効くとのこと)・大嶽山那賀都神社大月分教会(すべてにかないます。霊験あらたかです)・天満宮、菊花山(菊の化石が出る)、甲州街道の一部、花咲本陣とうとうです。
本当に素敵なコメントをありがとうございました。

初めまして!
有り難いコメントに恐縮しております。私はお邪魔させて頂いてばかりで、この山を守られている地元の皆様には本当に感謝しております。貴重なご意見を頂戴できて光栄です。

岩殿山は大好きな山のひとつです。ここに登ると、武人の生きざまや、自分自身をも顧みることができ、仰る通り何かに迷った折などは多くの事を教えてくれました。また歩いてみたいですね。

大月の名勝のご紹介も、有難う御座います。是非廻ってみたいと思います。

登山のみならず歴史スポットも大好きで、昨年は笹子峠を歩いて越えたりも致しました。その記事はこちらです。良かったらお読みください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-766501.html
コメント本当に有難うございました。

先日(10月16日)、大月市立図書館にて、NHK大河ドラマの時代考証者であります、平山優先生のご講演を拝聴させていただきました。     その折、ご質問させていただきました。
質問、小山田信茂公は、裏切り者と簡単に言えるのですか。もちろんこの    ようにいうのでなく、周りくどい言い方になっていましたが・・。
回答、いや今の歴史学会においては、見直されていると思います。国民     の皆様に、浸透してしまっているのです。このようなご返事であった    かと思います。
    そうか。地元の私たちにとっては、立派なご領主さまでしたから、私    としては、少し安心いたしました。
     それにしては、真田丸の第一回、第二回の描き方が、あまりにも    私の思いとずれておりましたので、あえて質問させていただきまし    た。
場所をわきまえずとても失礼ですが、平山先生ありがとうございました。

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 岐神葵のブログらしいです。
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  • UPした写真、全部私の使い込んだガラケーからだけど…。スマホになったら写真めっちゃ綺麗だって聞いてるから羨ましいな(;'∀') このご時世にまだもうちょっとガラケー継続の予定です(;^_^A 1 day ago
  • これで東京以外での遠方のお出掛けはしばらくないかなー…。しんどくなったときは動物写真見返して乗り切るのだ…!(;^ω^) 1 day ago

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