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自然農法ですよ

Posted on: 2012年9月29日

専門家ではないので学術的な話ではありません。その旨ご承知置き下さい。

自然農法という言葉に些か興味があり、少しばかり調べてみましたが、多くの方が志向され、苦労されていることはわかりました。共通していることは、現在の化学肥料や農薬の否定、土地を荒らすような農機具の否定でしょうか。その根底に、自然の植物は本来自然が一番良い、という当たり前と言えば当たり前な考えがあります。しかし、何れも成功しているとは言い難いですね。

福岡正信さんは有名でしょうか。しかし、この農法も普及していません。量産主義の現代の農業に合わないのはもちろんですが、採取生活を越える生産性を期待するには、どうしても人間の手を加える必要があると私は考えます。広大な土地を自由に採取して回れるなら兎も角、狭い土地である程度の口数を満たすには、それなりの知恵は必要でしょう。そんなのは、日本の自然林を見ればわかります。そこから得られる、人間が口に出来る植物。必ず、食べられるものはあります。しかし、その量はあまりにも微々。採取だけで生活するなら、広大な土地を巡回しなければなりません。

学術的にも福岡正信さんのお話は面白いし、砂漠の緑化などの功績は実際、素晴らしいものだと思います。ただ、自然農法の解釈としては、確信を得ているとは思えないのです。

私が注目しているのは、日本古来から続く焼畑農法です。

http://blog.livedoor.jp/rokuten1/lite/archives/51398128.html

狭い土地で、多数の人が定住し、お腹を満たすには、最低限これだけの苦労はしなければならないという、そんな答えがあるように思います。苦労とはいえ、特別重労働というものでもない気がします。ただ自然にあるものを生かし、最低限手を加え、採取する。それだけの事です。この焼畑に比べ、水田稲作の方がはるかに手間が多いはず。米は八十八の苦労と言います。焼畑にその苦労はないでしょう。その分、収入も少ないでしょうが、ただ腹を満たすだけなら、焼畑でも充分です。

山に登り、荒廃した植林を見ると、何とかして自然の姿に戻せないものかと落胆することが多いですが、かつてはこうした植林の多くが、人の手で焼畑され、何千年も自然と共存してきたのでしょうね。時代とはいえ、植林奨励は近代の大いなる愚策だったと私は思います。広大な荒廃林、膨大な倒木、相次ぐ土砂崩れや大雨による増水、手のつかない植林が招く、取り返しのつかない自然破壊です。

現在、南米や東南アジアの焼畑が森林破壊を進めていると危惧されていますが、日本でも今の人口を焼畑で賄おうとすれば、同じことです。食料自給率など考えなくても、自然生産物のキャパシティで考えるなら、今の人口はとっくに飢餓レベルです。最早、人工的に食料を生産しないと、人間は自ずと「口減らし」を迫られるほど増えすぎてしまったのです。

逆に言えば、田畑によって人間はその数を増やしてきたとも言えます。叡知や苦労をもって、今の繁栄を築き上げました。自然農法とは、それを根底から否定するような論でもあります。即ち、それを実践する限り、自らの「口減らし」の必要性にも迫られましょう。自然農法とは、都会の人口を支えられるような、画期的な農法では決してありません。それだけは確かです。

日本古来の焼畑は、火入れをしてまず、蕎麦を撒きます。次の年は、粟や稗。翌年は雑草の背丈を越える、小豆。四年目にして雑草が影を潜め、大豆などを育てます。四年を過ぎたら、畑はそのまま自然に返し、土地の力を回復させます。再び火入れをするのは、二十五年から三十年以上のち。一年ずつ火入れする焼畑を変えながら、毎年蕎麦から大豆まで収穫できます。

もちろん、化学肥料も、農薬も、一切使いません。これで、人間は充分に生活できるのです。

縄文時代の中頃には、日本でも稲作が行われていたと、最近の調査から判ってきたそうです。水田稲作は弥生人が大陸から伝えた文化ですが、縄文時代の稲作はどうやら、焼畑だったと言われています。順序で言うなら、二年目の粟稗の頃合いが、稲作に適しているかもしれません。もっとも主食ではなかったでしょう。というか、この焼畑から得られる作物に、主食という概念はありませんね。

何れにしても、今の人口、今の文化、今の生活を支えられるだけのキャパシティを、今の地球上の自然が持ち得ていないことも明らかです。性善説だけで全てが助かるならそれほど嬉しいことはありませんが、何らかの方法で「口減らし」は必要なのかもしれません。自然の緑がなければ、車だって動きません。電気も発電できません。水も渇れます。そんな現実は、加速度的に近づいています。もう、誰にも止められないのでしょうか。

山に登って、救われる自然、守られている自然も多く目にしましたが、失われる自然も多いです。目を覆いたくなるような現実に、愕然とすることもあります。全て、人のせいです。

誤解を恐れず言うなら、取り敢えず原子力を認める私の心の奥底には、ある意味で「原発で人間なんか滅べばいい」という自戒と贖罪の念があります。原発が人を滅ぼせるなら、その後に自然は甦るでしょう。それくらい、取り返しのつかない状況になりつつあるのは確かです。皆さんもご存知でしょう。認めたくないだけですよね。仮に、そんな危機から脱出する手段があったとしても、この危機感は不可欠だと思っています。それが原点ですし。

そういう尺度での危機感を持ってしまったので、正直オスプレイとか津波とか原子力とか、ピンと来ないんですよね。死ぬときは死ぬ、そんなときなど滅多に来ない。どうせ来るならドカンと来いやと。それでもし、何億分の一の確率で自分が生き残れたものなら、その時は残された自然と共に、自然農法でもやってみたいですね。

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1 Response to "自然農法ですよ"

注釈
■焼畑
畑では、年を追うごとに土が痩せていきます。焼畑の場合、4年間の栽培で、それまで培った土の養分を使い果たしてしまいます。元に戻るのには、自然に返して30年近くです。30年かけて、自然の植物が土を養うのです。

■水田
水田であれば、土中に必要な養分、肥料は、川が山から運んできます。特別な肥料を必要としません。水田は稲の生育に適しているだけでなく、自然との調和も取れた優れた生産システムでもあります。

色々な意見はありますが、この二つの農法こそ伝統的な自然農法と呼べるスタイルです。手間を惜しんで多大な収穫など有り得ないでしょう。手間を重ねるからこそ米が美味しいんだと、私はそう思います。麦とて、収穫後の調理には手間がかかります。自然=手間がかからない、ではないでしょう。人間の存在自体が、手間の産物なのですから。

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