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Archive for the ‘写真’ Category

 かつてはプロとして撮影に勤しんでいましたが、今は片手間に撮影する程度で(勿論ギャラは得ていますが)ほとんど趣味での撮影のみです。それも他の趣味、登山での撮影や、ロリィタファッションでの自撮り、ポートレート撮影ばかりです。
それでも昔取った杵柄。何となく何とでもなります(笑)

 まあキリがないので適当に。

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 このところロリィタでの自撮りばかりですが、幸い先日購入したOLYMPUSのPEN-Fがとても便利で、自撮りがしやすく重宝しています。まあその辺りは、私のInstagramでもご覧ください。

劇的に変わりました。ロリィタ。私にとっては原点回帰でもあるし、行き着くところの頂点かもしれませんが、ここ数年重ねてきた登山との相性がかなり悪く、登山が停滞気味になりつつあります。かつてのように週1ペースでの登山は、ほとんど現実的ではなくなりましたね。お金と時間の使いどころが完全に変わってしまいました。

それでも登山は辞めたわけではないので、機会があれば。幸い、昨日旧友から登山を再開したとのメールがあり、折り合いがつけばまたどこかに登ろうかと思います。近いうちに。

ロリィタとスケートはそこそこ相性も悪くないですね。着て滑れないこともないですから。なので、スケートについては相変わらずですが、継続的です。

無線はどちらかというと登山寄りですね。なので、登山する機会があればこそ、です。写真は登山ともロリィタとも必須要素。カメラが手放せません。これこそ昔取った杵柄です。

ロリィタについてはそれこそ人生を一変させる出来事があり、それによってTwitterを再開させました。そちらで、これまでこのブログでもWebサイトでも、Facebookやmixiでも明かせなかったことを、明かしました。興味のある方は、Twitterで探してみてください。辿り着けた方なら、その辺りもお分かり頂ける事と思います。現状Twitterだけでの公表です。ブログ等他の場所で公言する予定は全くありませんので。

まあ色々変わりました。まずお金がかかりますね…。こんなにお金のかかる趣味は他にありません。スケートだって登山だって、お金のかかるものはありますが、それはごく一部。スケートは靴だけ。登山は道具と足代。それでもたかが知れています。ロリィタは、何から何までお金が。

スケートは主に時間の投資。登山もまあそんな感じ。投資した時間の分だけ、技が身に付き、遠くの高い山に登れます。ロリィタは全く逆。如何に時間に逆らうか。美貌こそ全てで、何より最大の敵は年齢。ただ幸いなのは、スケートと登山の結果、実年齢マイナス10歳以上の体力と運動能力が身に付いています。これが、40代でありながらロリィタを始められたイニシアチブ。スケートも登山も、伊達ではないのです。

これまでほとんど興味のなかった自撮りの機会が、圧倒的に増えました。自撮りなんて、山頂での記念撮影だけでしたから。何かと写真、何かと自撮りです。今更ながら、自撮り非対応のデジカメで若干の後悔も生じています。登山用に、最小サイズで最高の性能という基準でしたから。自撮りではスマホ一辺倒。

スマホのアプリでレタッチもでき、その場でSNSにアップできます。便利すぎ。デジカメは専ら本気撮り専用です。そうなると、単身では三脚とセルフタイマーが必須。まあ三脚なしでの撮影は登山で慣れていますけど、凡そスマホの自撮りの手軽さには敵いません。フルサイズだろうがサンニッパだろうが、お荷物でしかないのです。

こちらはレタッチなしの無修正。構図が似てしまうのは、腕の長さとレンズの画角の関係。自撮り棒があれば、もう少し変化が出ますけど。

意外なほど参考になったのは、プリクラ。現代のプリクラは物凄く進化していますね。ブースのライティングはもちろん、レタッチに画像加工、おまけにスマホにメールで画像送信まで。この別人具合に最初は愕然としましたが、昔培った撮影技術やレタッチのノウハウが呼び覚まされました。「ああ、これならできる。」

適当に撮影して、いいショットをレタッチ修正、がこれまでの手法でしたが、そうそうすっかり忘れていました。撮影前の作り込み。メイクと画像加工はいずれも当然の作業ですが、どちらにも限界があります。シミやクマはメイクで完全に消すのは難しいですが、レタッチなら簡単に消えます。自然な眉とまつ毛、艶のある唇などはデジタルで作るのは極めて難しく、メイクの決め所です。この辺りがわかるとわからないとでは、やっぱり大違いですね。

多分普通の人は、プリクラでどんな撮影テクニックや加工プロセスがあるのか、なんて考えもしないでしょう。偶々、持ち合わせていた経験で簡単にわかってしまいましたが。

色修正に関しては、トーンカーブですね。基本的に上弦ですが、RGBそれぞれをR>B>Gの強さで微妙なSカーブにすると、プリクラのぶっ飛びハイライトになります。後は、スポット修正でシミやクマを消し、エアブラシでメイクを盛れば完成。プリクラで得られた貴重なプロセスです。

同時に、メイクの勉強にもなりました(笑) レタッチにも限界があります。元が良ければ当然修正も少なくて済みます。写真撮影が目的なら、舞台メイクくらい盛ってもいいんですよね。写真にして映えるのはそういう被写体。ナチュラルでも撮れなくはないですが、平凡な記録写真になってしまいます。そういう目的の撮影なら兎も角、ポートレートとしては駄目でしょうね。

プロ時代は、ヘアメイク担当もアシスタントもいました。専ら撮るだけでした。自撮りを通じて、メイクとアシの重要性を痛感しています。まさに今更ですけど。

本当に泣きたいことは沢山ありました。

人が相手。しかも子供。性格的には性に合っていた仕事でしたが。コスプレにアニソンバンド、オタクの分野に精通していたので、子供との意志疎通には役立ちました。子供を笑わせることそのものは、何ら難しくありません。おすましから爆笑まで、創り出せました。でもまあ、本音は「撮る」より「撮られる」方が望みだったのでしょうけど。

必要なものはほとんど既に持っていましたが、最後の最後まで手に入らなかったものは、子供の心をつかむことでした。技術的には可能でも、相手は子供。泣く子を笑わせるというとんでもない人間性が要求され、ここで深い自己嫌悪に陥り、父が死んだ際に患った鬱病が再発しかけました。そして、その頃に出会ったデジタルとネットの分野に転向し独立、それから約二十年。

写真は必然と偶然のハーモニー。必然は真実でもあり、素描でもあり、神の領域でもあります。偶然は、切り取られた瞬間だけでなく、季節や悠久の時の流れという大きな時間でもあり、人の心の変化もまたその対象。必然だけなら記録写真、風景写真、証明写真です。偶然なら、報道写真、スポーツ写真、自然の動物写真などあります。それぞれに極端な写真の需要ももちろんありますが、多くはその必然と偶然の両方が介在することで、静止画である「写真」に「動き」が写り混みます。

全て揃っていますから、自らが道化になれば、被写体の必然も偶然も思いのまま。それを切り取りさえ出来るなら。三脚とセルフタイマーでも可能ですが、リアルタイムでないため偶然性がかなり削がれます。なので、自撮りでも信頼できるカメラマンは別に必要ですね。

人の表情は、1/10(0.1秒)で変化します。それを切り取るには、ファインダーで狙わなければ駄目なんですね。歯がキラリとか、微かなウインクや流し目、絶妙なアルカイック等々。子供と会話しながら表情を創っていた時代は、そんな一瞬を話術や遊びから導き、撃ち抜いていましたね。

しかし一番難しい被写体でもありました。動くものでも動物や乗り物の方が遥かに楽。勝手が分かり演技のできる大人ならまだしも。もう二度と撮りたくない難しい被写体ですが、最も絵になるのも、そうした被写体です。
今となっては泣き言も良い思い出。そんな経験があるからこそ、今の「絵」に繋がっています。

エアリズムとかKYとか最近何かと空気が話題ですね。漢方では気血水の「気」に当たるでしょうか。科学的な話だと気体に該当する物質の一形態ですが、ここでの空気感とは、アーティスティックな感性に於ける「空気」で、漢方の気が概念としては近いかもしれません。

生業でもある写真では、この空気感の表現というものが、難しくも結構重要だと思うようになりました。KYな写真、つまり「空気が読めない」写真は駄作で、その場の空気感が見えてくるような写真は良作。この場合の空気は、臨場感とも言い換えられます。

写真に於ける臨場感にも色々ありますが、感動をもたらすような秀作には、何かしらの共感を伴う空気感が介在しています。同じモデル撮影でも、撮る人によって如何様にも変化するのが、そんな空気感。写真の場合、目の前の光景をどう処理するかというテクニックだけでなく、実際にはあらゆる時と場所を高い精度で選択していくという、ロケハンがその要素が鍵を握っています。ネイチャーフォトは、写真家が空気を作り出すことはほぼ不可能で、専ら目の前の光景を切り取り、そこから空気感を引き出していくというプロセス。人間の意思ではどうにもならない、圧倒的な神々の存在と対峙するような、そんな感覚です。逆にモデル撮影やスタジオ撮影だと、空気を盛っていく作業で、目指すのはネイチャーフォトのその神々の存在、かもしれません。日本には八百万の神がいます。その神々を写し出す、それが空気感の真骨頂とも言えるでしょうか。

話は変わって、オーディオ。この分野でも空気感という表現が使われます。オーディオの究極は、生の音です。如何に本物の音に近づけるかが基本的なポリシーです。アナログでもデジタルでも、二次元の音の波形を忠実に記録し、それを忠実に再現させます。分かりやすい話ですと、AMラジオとCDの音の差ですね。周波数帯域の違いで、AMラジオはチープに、CDの音はリアルに聞こえます。人の息づかいや、残響音、自然なら鳥のさえずりや川の音など。これらの空気感も、写真と同様の享受するしかない神々の領域から、造り出していくアーティスティックな領域まで、様々です。

日々の仕事でも、そんな空気感が実はとても大切です。ウェブデザインやDTPでも同じで、バナナのたたき売りであれば流暢で勢いのある口上と観客を引き寄せる熱気だし、誠実、実直な職種であれば緻密さや正確さが要求されます。商品の性格や会社の風体、極めつけは担当者の人柄こそ、その空気感の要ですね。ハートが伝わるか。そんな空気です。

突き詰めれば、あらゆるもの作りの必須要素なのでしょう。東洋に於ける気とは、「気が重い」「気が晴れる」「気が焦る」「気が強い」など、人の心とも解釈できます。空気感とはさらに、人の心をも動かすもの、かとも思います。空気の空とはからっぽという意味でなく、仏教的な「空」のことと私は解釈しています。この話となると経文の解説になってしまいますので割愛しますが、四次元時空のこの世界で、時間や空間を盛り込むような、さらには超越するような、そんな構成要素がこれ即ち、空気感ではないかと思います。

私の写真集ができました。限定50部で1部500円です。私と面識があり、ご理解のある方にのみ頒布致します。

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さて、数年間更新を停止していたホームページを、久し振りに更新しました。ヤマレコのインデックス、blogの富士登山関連、新コンテンツのロリィタファッション徒然草がそれぞれ追加されています。既存のコンテンツはほぼそのままです。化石化していますが何卒ご勘弁下さい。一応、大ヒットコンテンツの「制服を買おう!」と「アイススケートの滑り方」も御座います。

http://www.kunadonic.com/

相変わらずでは御座いますが、今後とも変わらずお付き合い頂けますよう、お願い申し上げます。

マウントアダプターが届き、色々遊んでいます。HEXERとPEN Miniをマウントアダプターで接続すると、こんな感じです。

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随分と古風なカメラに仕上がりました。革ケースはOLYMPUS純正オプション、ストラップはHAKUBA、ビューファインダーはレンズと同じ時代のCanon100mmです。レンズは50mmですが、35mm換算で100mmとなるため、ビューファインダーはそれに合わせてあります。

この時代の沈胴レンズは、ミラーレスで使う場合はお約束として、沈胴させてはいけないと言われています。ところがこのHEXERとマイクロフォーサーズの組み合わせの場合、マウントのカメラ面とほぼツライチまでしか沈胴しません。ボディ内部に全く干渉しないので、問題なく沈胴できています。これはありがたいですね。

レンズを伸ばした状態がこちらです。

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とある誌面でスチームパンクと表現していました。確かに歴史のベクトルによっては、こういうカメラの姿が当たり前だったかもしれませんね。違和感がないどころか、レトロなパーツなのに強烈な斬新ささえ放ってもいます。レンズフードは、本家ライカのエルマー用を着けました。50mm用ですが、それなりに機能はしますし、むしろレンズガードですね。

作例というほどのものはまだないですが、うちのオカメインコを撮ってみました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

うちのオカメインコ、那由他さんOlympus E-PM2/Konishiroku HEXER 50mm f3.5

お鳥様は動くので厄介です(笑)。距離が近いので被写界深度がかなり浅いですね。換算で100mmですから、ポートレート向けのレンズとも言えます。口径の小さいレンズの割にはボケ味がとても綺麗です。この小ささで絞りが9枚!コピー元のライカに倣ったのでしょうけど、オールドレンズもバカにはできません。大したものです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西日暮里

f値は忘れました。EXIFに記録されないので仕方ないです。ご覧の通り開放ではないですが、よく解像しています。逆光には厳しいレンズですが、うまくフレアを抑えて撮れました。まあ多少のフレアも味として考えたほうが面白いとは思いますが。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西日暮里の街並

踏切周辺を無限遠で撮ってみました。中望遠的な圧縮もかかっていますね。絞りは中間辺り。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

JR豊田駅

素朴な中にもキレがあるような。中央線のすれ違いが遠くに見えます。まあご覧の通り、解像に関しては特に申し分はありませんね。マウントの精度で無限遠が正確に出ているかどうかという問題もありますが、この作例で判断するなら充分実用域でしょう。周辺部分での色収差は確かに出ています。その辺りは当時のコーティング技術からして当然です。現代のレンズと比較するのがナンセンスでしょうね。

今から半世紀以上前にして、ライカの設計はもちろんですがそれを模倣にとどまらず、独自のアイデアまで盛り込んだ小西六の技術力の高さも凄いです。趣味のレンズと割り切ってしまうのは惜しいですね。こうした素朴な味などを表現と解釈するなら、私的には大アリです。

今はなき日本最古の写真関連会社、小西六。コニカに社名を変更後は、これまた老舗のミノルタと合併。そしてソニーにカメラ事業を売り払って終焉を迎えます。この変遷はまさしく、フィルムカメラの隆盛と衰退の歴史でもありますね。日本の写真産業の一時代を築き上げた功績はもちろんですが、残された遺産もまた素晴らしいものばかりです。

そんなコニカとは、個人的にも縁が深いですね。古くは父が愛用したカメラ「オートS」で初めて写真に写り、フィルムもサクラカラーでした。そのカメラを手に町中を撮りまくった小学生時代。そしてブロニカやニコンなどを三世代に渡ったお下がりを譲り受けて愛用し、いつしか写真を生業に生活していた頃に出会ったのが、これまたコニカの「HEXER」でした。友人のライブ撮影やモーターショーなどで活躍しました。その後はデジタル時代になり、当のコニカが勢いを失う中では縁がありませんでしたが、ここに来て再び、HEXERと出遭うこととなりました。それが、こちらです。
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古いレンズです。実は戦前の名器「バルナックライカ」用のレンズです。なぜコニカがそんなレンズを作っていたのかというと、これまたややこしいんですが、当時はライカのコピー商品が世界中で作られていました。そんな中でもレンズは高い精度を要求される工業製品ですから、カメラ本体は比較的簡単に作れても、レンズだけは難しかったのですね。ライカコピーレンズは、例えばニコンやキャノンなども作っていましたが、その一角にコニカもあったわけです。

で、なぜそんな骨董レンズを手に入れたのか? 察しの良い方ならもうお気づきですね。これ、現代のミラーレスデジカメに使えるんですね。
ミラーレスは総じてフランジバックが短く、アダプターを介することで多くのオールドレンズが使えるようになります。これまでにもそうしたアダプターは多数あったものの、ライカのレンジファインダー用レンズは難しい存在でした。理由は、フランジバックはアダプターで延長することはできても、元々フランジバックが短いレンズはどうにもならなかった訳です。ことライカのレンズは優れた資産だったにも関わらず、コンパクトな設計故にデジカメで生かすことが不可能でした。そこに謂わば革命を起こしたのが、ミラーレスだったんですね。

オールドレンズには独特の魅力があります。そもそも現代のデジカメ用レンズは、非球面やマルチコート、テレセントリック性など、高度な設計で作られています。しかしその結果、均一な仕上がりに陥りレンズの個性に乏しくなるのも否めません。オールドレンズには古き良き時代の個性、描写があります。歪曲や色彩収差といった独特の描写が、均一な性能のレンズでは叶わない、エフェクトを生み出すわけですね。

この小西六ヘキサーは、本家のライカ「エルマー」よりも描写性に優れているという評価もある、銘玉です。が、まだマイクロフォーサーズ用のマウントアダプターを手に入れてないので使えません(笑) 手に入れたら、レビューをアップしますのでお楽しみに。

ハードオフのジャンクを探していたら、ありました。OLYMPUSのOM、50mmF1.4です。標準レンズでも明るくてコンパクトなレンズ。価格は3200円ほど。

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当然マニュアルのシンプルなレンズですが、シンプルなだけにレンズ口径が大きく、とても明るいですね。Zuikoの名器を思わせるいいレンズ。

これ、実はマイクロフォーサーズで使えるんですね。マイクロフォーサーズは各種のマウントアダプターがあり、クラシックレンズが色々使えるんです。このOLYMPUSのOMシステムだけでなく、ライカやツァイスなどもいけますね。このレンズ選択の自由度が、マイクロフォーサーズを選んだ最大の理由でもあります。
これがアダプター。

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OMアダプターを取り付けると、こんな感じです。

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35mmのカメラ本体では標準レンズですが、マイクロフォーサーズでは換算で2倍、100mmの中望遠レンズとなります。しかし中望遠クラスでF値が1.4という明るさというのも凄いですね。こんなレンズが数千円で手に入るというのも驚きです。

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帰り道の銀杏の木を撮ってみました。
F8程度でも程よくボケが入ります。階調も豊かですね。三千円程度のレンズとは思えません。

全ての操作がマニュアルなので、それなりの知識は必要ですが、昔はそれが当たり前でしたし、いかにも写真を撮っているという感じでいいですね。

ジャンクレンズはまだまだありそうで、しばらく宝探しにはまりそうです(笑)

愛用のカメラが水没しました。

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主に登山、仕事からプライベートでも活用している愛機、OLYMPUSのPEN Mini E-PM2です。
以前も書きましたが、これを選んだ理由は、大きさ。登山ですから、大きさは極力小さく軽い方が望ましいです。しかし性能は高いものが求められます。私がコンデジを使わない理由は、撮影そのものも目的だからです。草花や生物の近接撮影もすれば、遠方の高山を撮影したりもします。広角から超望遠までを高画質で、しかも軽量コンパクトに納めて山頂まで持っていく訳です。

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登山中はポシェットに入れておき、片手でスナップ撮影をします。この場合はコンデジの方が適している場合もありますが、マクロっぽく絞りを解放して寄るとなると、コンデジでは難しくなります。
山頂では、遠方の山々や街並みを撮影するために望遠を駆使します。35mm換算で80-300のズームをめいんに、600mmもの反射望遠レンズも使います。しかも手持ち撮影。高性能の手ぶれ補正も必須ですね。

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こんなことをフルサイズで考えると、とんでもない重量になってしまいます。気軽な登山を通り越して、山岳撮影になってしまいますね。

これが、マイクロフォーサーズなら極めてコンパクトにまとめられます。レンズの焦点距離が35mmの半分なので、超望遠レンズも驚くほど軽く小さくなるのです。しかも画質は申し分なく、35mmフィルムカメラと同じ感覚で使えます。

現在は既に生産されていませんが、私の愛用しているPEN Miniは、性能と大きさの丁度、最大公約数だったのですね。登山に不自由や支障のない大きさで、かつ要求を満たす性能でした。多数のレンズを揃え、一通りのシチュエーションをカバーできています。

唯一の難点は、防水でなかったことだけです。

今回、カメラを川に落としました。数秒ほど水没しました。幸いすぐに拾い上げることができ、即座にバッテリーを抜くことで、大事には至りませんでした。タオルで拭ける箇所を全て拭き、家に帰ってから脱水処理。
レンズやキャップなどを全て外して、ペーパータオルでくるみ、輪ゴムで縛った上からバスタオルで包み、それを洗濯ネットに入れて、洗濯機で脱水。バスタオルは緩衝材の役割もあります。隙間から水分が抜け、ペーパータオルが湿っていました。大成功ですね。

バッテリーを入れると、問題なく操作できます。唯一うまく動作しなかったのは、シャッターでした。恐らく微量の水分で幕が貼り付いていると判断し、そのままタッパーに乾燥剤を入れて一昼夜乾燥させました。その後は完全に乾燥したようで、見事に復活。

取り付けていた標準ズームレンズはさらに深刻で、レンズ内に水滴が見えるほど浸水していました。これはほぼ諦めていたのですが、同じく乾燥剤処理で水滴の除去に成功しました。

しかし万が一復活できないと困るので、中古の本体と新品のレンズを調達。レンズ貯金が吹っ飛んでしまいましたが、お陰で予備の本体にバッテリーまで押さえることができました(笑)

ここでやはり、防水性能も検討するべきかと悩みましたが、これまでの登山を考えるとそのシチュエーションは極めて少なく、マイクロフォーサーズの利点を無視してまで要求するようなものでもないですね。ましてカメラの二台持ちでは、それこそマイクロフォーサーズの意味がなくなります。一台で全てがコンプリートできるのですから。

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これまでにどれ程の枚数を撮ったかわかりませんが、相棒と呼ぶに相応しきカメラです。扱いづらかった昔の中型カメラとは大違いで、意図通りの撮影が手軽にできています。それは何より、小さくて高性能という相反する要求を、高度に満たしているからに他なりません。


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 岐神葵のぼうけんのしょ。

 岐神葵のブログらしいです。
「事実は小説より希なり」
 架空の人物の閉じた世界のありえない話なんかより、何百倍も面白いリアル体験。そんな人生を目標に、意味不明な挑戦と挫折を繰り返しています。

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