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Archive for the ‘趣味’ Category

これ迄撮影した大月市秀麗富嶽十二景のベストショットです。曇天のものも記録として掲載しております。

一番 雁ヶ腹摺山
一番 蛭子山東方
二番 牛奥ノ雁ヶ腹摺山
二番 小金沢山
三番 大蔵高丸
三番 ハマイバ
四番 滝子山
四番 笹子雁ヶ腹摺山
五番 奈良倉山
六番 扇山
七番 百蔵山
八番 岩殿山
八番 真木お伊勢山
九番 高畑山
九番 倉岳山
十番 九鬼山
十番 御前山
十一番 高川山
十二番 本社ヶ丸
十二番 清八山

最近はブログの更新が滞ってますね。主にロリィタとセクマイで回しているのがTwitterで、他は山に登ればヤマレコ、いい写真が取れればInstagram、仕事関連はFacebook、そんな感じです。ブログに書くようなネタもなくはないですが、WordPressの仕様が重たくて更新が面倒という点で、Twitterの手軽さには敵いませんね。相変わらず、過去の話題よりも現在進行形リアルタイムな話題が中心ですから、Twitterの仕様が何かと都合いいのも事実です。幸いフォロアーさんにも恵まれ、私のフォローも基本的には面識のある親しい方々が中心です。そうなると、内々の連絡はもちろん希望的な話、ちょっとしたご意見も伺えますからね。ブログは、不特定多数に何らかの情報発信をするのには便利なのですが、さて即時性や投稿のしやすさを含めてアップするべき話題があるかというと、これまた最近は難しかったり。

ブログも嫌いではないんですけどね。恒久的に記事が残るし、広く意見を募れるし、リアクションも期待できます。Twitterと違い、時系列で埋もれる可能性も少ないかな。このWordPressで過去ログを掘り返すのは少々面倒ながらも、Googleで拾うこともできるし、Facebookとも一応連携していたから、記事を掘り起こせないこともありません。まあでも、過去は過去ってことなんでしょうね。3年前、5年前、10年前まで遡って何が楽しいかって……。

ブログ記事をスマホのフリック入力でアップするのも煩わしいです。やっぱり何だかんだ言っても、JIS配列のキーボードでローマ字入力した方が喋るより早い。ネットゲームでチャット慣れしたタイピングスピードは、早々衰えるものでもありませんね。何も考えずに、喋るが如く入力できるから楽ちんです。フリックでもある程度早いですけど、ここまで快適ではないですしね。早ければいいんです。入力なんて、そんなもの。言葉は迸る勢いで頭から溢れ出てきますから。だから、ブログ記事を書くのが億劫ということでもないんですよね。要するに、スマホとの相性が悪い。そういうことなんでしょう。

それから自宅のPCがスティックやタブレットになり、JISキーボードもなくはないですが、あまり活躍しなくなっています。ちょっとした入力でさえスマホのフリックが手軽なので。WEBでの買い物や問い合わせ、メールはもちろん、何かとアプリが充実しているし、PC中心でなくスマホ中心になっているから仕方ないですね。これがブログ離れの根本的な原因には違いないでしょう。所謂ネットユーザーのGoogle利用率を見ても、スマホの検索割合がPCを凌駕して久しいです。ネットはスマホ向けコンテンツが中心になってきています。これも疑いようのない現実ですね。

だから何だ、というお話ではありますが、だからブログが回らないのですよ(笑) 仕方ない、とも思いません。ネットの活動時間が変わっているわけでもありません。Twitterが動いている。それだけの話ですからね。

エアリズムとかKYとか最近何かと空気が話題ですね。漢方では気血水の「気」に当たるでしょうか。科学的な話だと気体に該当する物質の一形態ですが、ここでの空気感とは、アーティスティックな感性に於ける「空気」で、漢方の気が概念としては近いかもしれません。

生業でもある写真では、この空気感の表現というものが、難しくも結構重要だと思うようになりました。KYな写真、つまり「空気が読めない」写真は駄作で、その場の空気感が見えてくるような写真は良作。この場合の空気は、臨場感とも言い換えられます。

写真に於ける臨場感にも色々ありますが、感動をもたらすような秀作には、何かしらの共感を伴う空気感が介在しています。同じモデル撮影でも、撮る人によって如何様にも変化するのが、そんな空気感。写真の場合、目の前の光景をどう処理するかというテクニックだけでなく、実際にはあらゆる時と場所を高い精度で選択していくという、ロケハンがその要素が鍵を握っています。ネイチャーフォトは、写真家が空気を作り出すことはほぼ不可能で、専ら目の前の光景を切り取り、そこから空気感を引き出していくというプロセス。人間の意思ではどうにもならない、圧倒的な神々の存在と対峙するような、そんな感覚です。逆にモデル撮影やスタジオ撮影だと、空気を盛っていく作業で、目指すのはネイチャーフォトのその神々の存在、かもしれません。日本には八百万の神がいます。その神々を写し出す、それが空気感の真骨頂とも言えるでしょうか。

話は変わって、オーディオ。この分野でも空気感という表現が使われます。オーディオの究極は、生の音です。如何に本物の音に近づけるかが基本的なポリシーです。アナログでもデジタルでも、二次元の音の波形を忠実に記録し、それを忠実に再現させます。分かりやすい話ですと、AMラジオとCDの音の差ですね。周波数帯域の違いで、AMラジオはチープに、CDの音はリアルに聞こえます。人の息づかいや、残響音、自然なら鳥のさえずりや川の音など。これらの空気感も、写真と同様の享受するしかない神々の領域から、造り出していくアーティスティックな領域まで、様々です。

日々の仕事でも、そんな空気感が実はとても大切です。ウェブデザインやDTPでも同じで、バナナのたたき売りであれば流暢で勢いのある口上と観客を引き寄せる熱気だし、誠実、実直な職種であれば緻密さや正確さが要求されます。商品の性格や会社の風体、極めつけは担当者の人柄こそ、その空気感の要ですね。ハートが伝わるか。そんな空気です。

突き詰めれば、あらゆるもの作りの必須要素なのでしょう。東洋に於ける気とは、「気が重い」「気が晴れる」「気が焦る」「気が強い」など、人の心とも解釈できます。空気感とはさらに、人の心をも動かすもの、かとも思います。空気の空とはからっぽという意味でなく、仏教的な「空」のことと私は解釈しています。この話となると経文の解説になってしまいますので割愛しますが、四次元時空のこの世界で、時間や空間を盛り込むような、さらには超越するような、そんな構成要素がこれ即ち、空気感ではないかと思います。

この期に及んで、ここまで原宿や新宿渋谷に通い詰めるとは思いませんで。それはMETAMORPHOSEさんのハッピーバルーンに、Baby the stars shine brightのアリスでした。楽天のポイント蓄積にサマーセールのブッキング。各店を徘徊すると、辛うじて残されたヘッドドレスも手に入り。気がつけば随分とロリィタ服にお金を投じていました。

手に入れれば、もちろん着たくなる。で、いざ着てしまえば今度は新宿や原宿に行きたくなる。そしてロリィタメゾンにあしを運べば何かしら欲しくなり、振り出しに戻る。

デザインも意匠も、緻密な造りで感動すら覚えるロリィタファッションを手にすると、それはもう至福の極みであります。脳の奥深くに閉じ込めた幼い頃の淡い願望。いつしか現実との乖離に悩み、自我を壊しては積み上げの繰り返しで見えてきた、儚い妄想。それを現実のものとするには、それはもう筆舌に尽くし難い苦難を乗り越え、決して後戻りできないから全ての後悔すらも糧にして、仕事も家事も両立しながら。全ての願望が一挙に噴出して、目の前に忽然と具現してしまったそれが、あたかも天使が空から舞い降りたと比喩するのも憚りなく。出会うべくして出会ったのか。それとも何か他ならぬ意思が働いたのか。

ここに至るまでの布石はしかし、確実にありました。手元のゴスロリバイブルは何と、2003年のVol.9と書かれています。その後にスーパードルフィーと出会い、自分の分身には既にロリィタを誂えていました。PSOという遠い宇宙のパラレルワールドで、やはり自分の分身であったAoiという存在が闊歩していましたが、そこに現実世界と連動する既成感覚があったことも事実でした。それ以前に、PINK HOUSEへの奇妙な羨望は以前にも以後にも介在していました。そしてフィギュアスケートを始めた頃に、その目的のために不退転の決意をしたのであります。その頃、自分の仕事が大きく変わる転機ともなり、そこで切れた縁は所詮それまで、それでもなお続いて今に至るそれらこそ、正しく本物でした。継続は力であり、結果は大人フィギュアスケートとしては充分満足でき、富士山登頂まで果たした原動力こそ、そのロリィタの心意気そのものだったのではないかと。

それらとて、いつまでも若くはないという現実に対するアンチテーゼでした。だからこそ、無我夢中でスピンやジャンプを覚え、必死で日本最高地点を目指した訳ですが、常に「死の陰」が背後にありました。それは、齢四十二で卒した父の陰でした。死しても尚、妾の背中を押してくれていたことは、疑い様のない事実です。そうでなければ、恐らく無理だったろうと未だ思います。
捨てたものも多く、しかし得難いものも数多く手に入りました。それでよかったのでしょう。少なくとも、年齢と闘いながらも、今の自分にはとても満足しています。いつまで闘えるのかはわかりませんが、闘える限りは闘い続けるでしょう。

ロリィタを戦闘服と称した先人がいらっしゃいました。その心意気や良し、と。そして妾も、臨戦態勢にて見えない敵を迎え撃たんと、見えない銃を構えているこの頃であります。

うーん、何を書いているのか自分でもよくわかりませんが。

年甲斐もなく、とは重々承知。だからこそ、ではあるのです。

私の写真集ができました。限定50部で1部500円です。私と面識があり、ご理解のある方にのみ頒布致します。

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さて、数年間更新を停止していたホームページを、久し振りに更新しました。ヤマレコのインデックス、blogの富士登山関連、新コンテンツのロリィタファッション徒然草がそれぞれ追加されています。既存のコンテンツはほぼそのままです。化石化していますが何卒ご勘弁下さい。一応、大ヒットコンテンツの「制服を買おう!」と「アイススケートの滑り方」も御座います。

http://www.kunadonic.com/

相変わらずでは御座いますが、今後とも変わらずお付き合い頂けますよう、お願い申し上げます。

個人的にはこれが「入口」でした。圧倒的な個性、流行を逆撫でするような、それでいて伝統や歴史的なスタイルを取り入れ、懐古趣味にしては奇抜、前衛とするには古典。しかも、メタルやパンク、といったサブカルと表裏一体ながらもコスプレとは根本的に異なる主体的な自己表現。しかしここにたどり着くまでには、随分時間が必要でした。

ピンクハウスなどは当時、憧れでしたね。でもやっぱり奇異の視線に堪えられませんでしたし、「壁」を破るだけのアイデンティティーを持ち得ませんでした。今でいうなら、歴女や理系女を魅了するような、バックボーンがなかったんですね。カントリーテイスト自体は大好きなのですが、やっぱり「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」です。結局、それはカジュアル化された後の森ガールまで封印されます。

森ガール、山ガールには完全に乗りました(笑) 森のテイストはそれ以前から普段着として取り入れていました。山については言うまでもなく。

私がロリータファッションに傾倒していった最大の要因は、何がなくともスケートです。フィギュアスケートを始め、本格的に取り組むようになった頃。表現の要素が服飾にまで及ぶものですから、自ずと試行錯誤を重ねることとなりました。そこに、森ガールやソフトロリータの嗜好が被り、最早歯止めが効かなくなります(笑) それは可能性の追求でもありましたし、自己表現への挑戦でもありました。

よそ行きの装いか、普段着か。いわゆる晴れ着としてなら、フィギュアスケートも大会の衣装と練習着は異なります。その点で私は、趣味の大人スケーターで特に大会に出るわけでもない。つまり練習も本番もないといえば、ないのです。
フィギュアスケートは本来、自由なものです。競技ですからルールはありますが、そこから離れたプロの世界、アイスショーの自由な表現こそ、フィギュアスケートの真骨頂ではないかとも思います。そのポリシーが、ロリータファッションのそれと近いような気がしています。ロリータファッションもまた、本来は自由なものです。

ロリータファッションは、客観的に難解です。古典的なデザインを踏襲しているため、その時代背景や文化的な要素を、普通の方々が知識としてあまり持っていないためです。そんな状況で(ある程度)表現を解りやすくするのが、甘ロリやクラロリといったカテゴリーです。ゴスロリなどもこうしたカテゴリーの一つと解釈されます。このカテゴリーが、一般人にも(ある程度)解りやすい「公式」となっていて、ロリータ初心者でも答えがすぐ解ります。このカテゴリーは、多様なサブカルとの融合や試行錯誤から生まれたものですが、元々が難解なため、一般人にもロリータ愛好家にとっても、もはや必要不可欠な分類です。ただそれは、地球人と出会った宇宙人が火星人か金星人か、その程度の差ではあるのですが、当人にしてみれば、地球人か火星人かという大問題なのです(笑)

ゴスロリはご承知の通り、ヘビメタやパンクロックを背景に育ってきたもので、既にファッションとして定着しています。クラロリは昨今、森ガールやクラシカルな姫系ファッションの影響で比較的理解されやすいです。スチームパンクもアニメの影響で認知されてきています。

よそ行きでもあるのですが、当時の世相からすれば普段着でもあります。有り体に言えば、ドレスコードなど存在しないのです。

マウントアダプターが届き、色々遊んでいます。HEXERとPEN Miniをマウントアダプターで接続すると、こんな感じです。

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随分と古風なカメラに仕上がりました。革ケースはOLYMPUS純正オプション、ストラップはHAKUBA、ビューファインダーはレンズと同じ時代のCanon100mmです。レンズは50mmですが、35mm換算で100mmとなるため、ビューファインダーはそれに合わせてあります。

この時代の沈胴レンズは、ミラーレスで使う場合はお約束として、沈胴させてはいけないと言われています。ところがこのHEXERとマイクロフォーサーズの組み合わせの場合、マウントのカメラ面とほぼツライチまでしか沈胴しません。ボディ内部に全く干渉しないので、問題なく沈胴できています。これはありがたいですね。

レンズを伸ばした状態がこちらです。

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とある誌面でスチームパンクと表現していました。確かに歴史のベクトルによっては、こういうカメラの姿が当たり前だったかもしれませんね。違和感がないどころか、レトロなパーツなのに強烈な斬新ささえ放ってもいます。レンズフードは、本家ライカのエルマー用を着けました。50mm用ですが、それなりに機能はしますし、むしろレンズガードですね。

作例というほどのものはまだないですが、うちのオカメインコを撮ってみました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

うちのオカメインコ、那由他さんOlympus E-PM2/Konishiroku HEXER 50mm f3.5

お鳥様は動くので厄介です(笑)。距離が近いので被写界深度がかなり浅いですね。換算で100mmですから、ポートレート向けのレンズとも言えます。口径の小さいレンズの割にはボケ味がとても綺麗です。この小ささで絞りが9枚!コピー元のライカに倣ったのでしょうけど、オールドレンズもバカにはできません。大したものです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西日暮里

f値は忘れました。EXIFに記録されないので仕方ないです。ご覧の通り開放ではないですが、よく解像しています。逆光には厳しいレンズですが、うまくフレアを抑えて撮れました。まあ多少のフレアも味として考えたほうが面白いとは思いますが。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西日暮里の街並

踏切周辺を無限遠で撮ってみました。中望遠的な圧縮もかかっていますね。絞りは中間辺り。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

JR豊田駅

素朴な中にもキレがあるような。中央線のすれ違いが遠くに見えます。まあご覧の通り、解像に関しては特に申し分はありませんね。マウントの精度で無限遠が正確に出ているかどうかという問題もありますが、この作例で判断するなら充分実用域でしょう。周辺部分での色収差は確かに出ています。その辺りは当時のコーティング技術からして当然です。現代のレンズと比較するのがナンセンスでしょうね。

今から半世紀以上前にして、ライカの設計はもちろんですがそれを模倣にとどまらず、独自のアイデアまで盛り込んだ小西六の技術力の高さも凄いです。趣味のレンズと割り切ってしまうのは惜しいですね。こうした素朴な味などを表現と解釈するなら、私的には大アリです。

今はなき日本最古の写真関連会社、小西六。コニカに社名を変更後は、これまた老舗のミノルタと合併。そしてソニーにカメラ事業を売り払って終焉を迎えます。この変遷はまさしく、フィルムカメラの隆盛と衰退の歴史でもありますね。日本の写真産業の一時代を築き上げた功績はもちろんですが、残された遺産もまた素晴らしいものばかりです。

そんなコニカとは、個人的にも縁が深いですね。古くは父が愛用したカメラ「オートS」で初めて写真に写り、フィルムもサクラカラーでした。そのカメラを手に町中を撮りまくった小学生時代。そしてブロニカやニコンなどを三世代に渡ったお下がりを譲り受けて愛用し、いつしか写真を生業に生活していた頃に出会ったのが、これまたコニカの「HEXER」でした。友人のライブ撮影やモーターショーなどで活躍しました。その後はデジタル時代になり、当のコニカが勢いを失う中では縁がありませんでしたが、ここに来て再び、HEXERと出遭うこととなりました。それが、こちらです。
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古いレンズです。実は戦前の名器「バルナックライカ」用のレンズです。なぜコニカがそんなレンズを作っていたのかというと、これまたややこしいんですが、当時はライカのコピー商品が世界中で作られていました。そんな中でもレンズは高い精度を要求される工業製品ですから、カメラ本体は比較的簡単に作れても、レンズだけは難しかったのですね。ライカコピーレンズは、例えばニコンやキャノンなども作っていましたが、その一角にコニカもあったわけです。

で、なぜそんな骨董レンズを手に入れたのか? 察しの良い方ならもうお気づきですね。これ、現代のミラーレスデジカメに使えるんですね。
ミラーレスは総じてフランジバックが短く、アダプターを介することで多くのオールドレンズが使えるようになります。これまでにもそうしたアダプターは多数あったものの、ライカのレンジファインダー用レンズは難しい存在でした。理由は、フランジバックはアダプターで延長することはできても、元々フランジバックが短いレンズはどうにもならなかった訳です。ことライカのレンズは優れた資産だったにも関わらず、コンパクトな設計故にデジカメで生かすことが不可能でした。そこに謂わば革命を起こしたのが、ミラーレスだったんですね。

オールドレンズには独特の魅力があります。そもそも現代のデジカメ用レンズは、非球面やマルチコート、テレセントリック性など、高度な設計で作られています。しかしその結果、均一な仕上がりに陥りレンズの個性に乏しくなるのも否めません。オールドレンズには古き良き時代の個性、描写があります。歪曲や色彩収差といった独特の描写が、均一な性能のレンズでは叶わない、エフェクトを生み出すわけですね。

この小西六ヘキサーは、本家のライカ「エルマー」よりも描写性に優れているという評価もある、銘玉です。が、まだマイクロフォーサーズ用のマウントアダプターを手に入れてないので使えません(笑) 手に入れたら、レビューをアップしますのでお楽しみに。

ハードオフのジャンクを探していたら、ありました。OLYMPUSのOM、50mmF1.4です。標準レンズでも明るくてコンパクトなレンズ。価格は3200円ほど。

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当然マニュアルのシンプルなレンズですが、シンプルなだけにレンズ口径が大きく、とても明るいですね。Zuikoの名器を思わせるいいレンズ。

これ、実はマイクロフォーサーズで使えるんですね。マイクロフォーサーズは各種のマウントアダプターがあり、クラシックレンズが色々使えるんです。このOLYMPUSのOMシステムだけでなく、ライカやツァイスなどもいけますね。このレンズ選択の自由度が、マイクロフォーサーズを選んだ最大の理由でもあります。
これがアダプター。

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OMアダプターを取り付けると、こんな感じです。

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35mmのカメラ本体では標準レンズですが、マイクロフォーサーズでは換算で2倍、100mmの中望遠レンズとなります。しかし中望遠クラスでF値が1.4という明るさというのも凄いですね。こんなレンズが数千円で手に入るというのも驚きです。

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帰り道の銀杏の木を撮ってみました。
F8程度でも程よくボケが入ります。階調も豊かですね。三千円程度のレンズとは思えません。

全ての操作がマニュアルなので、それなりの知識は必要ですが、昔はそれが当たり前でしたし、いかにも写真を撮っているという感じでいいですね。

ジャンクレンズはまだまだありそうで、しばらく宝探しにはまりそうです(笑)

当時は高橋留美子系の同人サークルで会報の編集主幹をやらせていただいてました。会員数は最盛期で200名位だったでしょうか。ネットも携帯もない時代。そこでの経験が、今の仕事の基礎を担っていたりします。会誌の編集は、ウェブデザインにも通じるんですよね。

その頃の縁は今も細々と続いていたりします。一緒に富士山登頂した連れとか、契約会社のイメージキャラクターのデザインをお願いした絵描きさんとか、うちの相方とその取り巻きとか。

若い時分の凄まじい苦労、当時はそんな風に思いもしませんでしたが、今はとてもできない経験でしたね。仙台とか名古屋とか、よく出掛けたものです。ネットのない時代に、百名以上の仲間を繋ぐこと。その労力は半端じゃないです。毎日のように手紙を書いていました。手紙ですよ?! 今では考えられませんね。

その頃のご縁で、大活躍されていた年配の方がとあるイベントを企画され、昨日開催されました。当時の版権ものの展示会。あまりの懐かしさに、何だかタイムスリップというか、色々な思い出が当時のままに甦りました。若かったなあ(笑) 本当に凄かったなあ。

その後、バンドだのミニ四駆だのネトゲのチームだの、これまた色々やりましたけど、あの若さゆえの情熱に敵うことはついになかったように思います。手を抜いてたとか比較して大したことないとかそういうんじゃなくて、振り返って今の我が身に残ったものですよ。言い換えれば、食いっぷちとか、生業とか、そういうやつですね。

プロを目指して、という騙し言葉があります。99%詐欺なんですが、1%ほどの真実があるのでたちが悪い。しかも人真似では成功しないし、良い会社や先輩に恵まれても同じこと。さらに成功したとしても、裕福になったり名が売れたりというわけでもない。それなら他にも道はあるし、むしろプロを目指さない方がうまくいく。
そうした夢と現実の解離の狭間で、自分が何のために生まれてきたのか、何をすべきなのか。手探りで我武者羅に生きていた時代でした。だから、今に色々な形で、繋がり残っているんでしょうね。

編集デザインのノウハウを叩き込まれ、人材や人脈の扱い、絵描きの能力もまた然り。趣味の写真は糧になり、今は強力な武器のひとつ。パソコンもそうですが、下地にあるのは、何と言ってもやっぱり「紙」で培ったアナログの基礎や基本です。これがなければ、儲かるウェブサイトなんて絶対作れませんでした。写真スタジオを辞めて独立した背景に、この基礎をもって稼げる、生きていけるという漠然とした見通しがあったのは間違いありません。

苦労しながらも何とか食えるまでになりましたが、当時の出逢いがなければ今はありません。それが本物であれば、趣味だろうと遊びだろうと、ずっと続けられるし、必ず役に立つ。それこそ金銭的な価値を越えたものです。

カリスマとか、ファン精神とか、一種の宗教なんでしょうね。本気で挑んだその見返りは、何倍にもなって返ってきました。あの頃の本気が今あるとすれば、それは多分スケートと登山ですけど、スケートは体力の限界からここまでだと悟っていますし、登山はむしろ老後への投資ですから、実生活にどこまで結び付くかはわかりませんけど。アマチュア無線と楽器に関しては、完全な趣味。こればかりは、パンドラの箱を開ける必要があります。

そう思えば、20年前のとあるサークルに飛び込んだきっかけは、高校時代。その時に、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれませんね。その中には確かに、ひとかけらの希望がありました。


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 岐神葵のぼうけんのしょ。

 岐神葵のブログらしいです。
「事実は小説より希なり」
 架空の人物の閉じた世界のありえない話なんかより、何百倍も面白いリアル体験。そんな人生を目標に、意味不明な挑戦と挫折を繰り返しています。

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