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高校の頃に他界した父からは、とにかく褒められまくって育ちました。母は狭量で他人の器を測れず、自分の子供には不安しかありませんでした。

父はとにかくよく褒めました。祖父譲りの大切なカメラや自作のステレオも、惜しげも無く貸し与え、勝手にさせてくれました。当時珍しかったパソコンも。私がインドア傾向で友達が少なかった事を察してか、自分が好きだったからか、そうしたオモチャには不自由しませんでした。カメラを片手に初めて撮影に出かけたのは、近所の多摩動物公園。小学生でした。パソコンはもっぱらゲームをするだけですが、プログラムを改造して無敵にしたり、そんな経験が今の仕事に繋がっているのは言うまでもありません。カメラは一時生業にしていました。ステレオはバンドで楽器を奏でるバックボーンでもありましたね。高価なダイヤモンドのレコード針を折ってしまっても、怒りませんでした。父の自己肯定感は、今思えば計り知れません。絶対無比。圧倒的な知識量、豊富な経験、度量と器量、見てくれも心意気も男の中の男。男惚れした同僚が沢山いたと死後何度も聞かされました。職場でも重用されていた技術者で、葬儀は壮大でした。

私自身の父の影響は絶大でした。そんな父の影を追いかけていた子供時代、とにかく父が大好きでした。他界した折には、ショックで不登校になり、将来への漠然とした夢も希望も、全て崩れ去りました。子供の頃の私には確かに、男性性が認められます。この父の死により私の男性性は瓦解しました。

母は過保護の管理過多。自分の不安を子供に依存しなすりつけるタイプで、習い事をさせるのには熱心でした。母はとにかく自己肯定感が低いです。祖母から、お前は駄目人間だと言われながら育ったような。出来の良い姉妹と常に比べられたから、自ずとそうなったのでしょう。ただ、底意地の強さや我慢強さなどは私にもしっかり受け継がれたようです。

共働きで、母からの愛情には間違いなく飢えていました。よく比較された弟の存在も大きかったでしょう。弟は意外と不出来で、それが逆に愛情の対象となりました。私は孤独に勉学に励むも、それは愛情の対象とはならなかったのです。出来て当たり前。それも私の今の心に大きく影響しているでしょう。

12/1の18:00頃からオペとなりました。全身麻酔なので勿論何の記憶もございませんが。

開始前に執刀医ガモン先生とお会いでき、一緒に写真を撮りました。スタッフの皆さんも和やかで、安心して臨めました。

気が付くとリカバリールーム。布団乾燥機のようなブロワーがベッドに設けられ、暖かかったです。スタッフにWhat time? と聞くとMed nightと。Painと伝えたら、痛み止めを点滴から注入してくれました。そのまままた、眠りにつきます。

続いて目が冷めたのは3時くらいでしょうか。5時に病室に戻ると告げられ、ベッドに乗せられたまま戻りました。また軽い眠りに。

7時を回る前に朝食が運ばれてきました。頼んでおいたわかめスープ。

この段階では出血と浮腫が凄く、ガモン先生に診てもらうことに。ガモン先生曰く「大丈夫」。浮腫が退くよう水分を多めに摂り、軽く足を動かして血流やリンパの流れを促しました。

繋がれた管が取れるまでは、ベッドから身動きも出来ません。排泄もままなりませんから、食事は全て汁物にしました。

明日か明後日か、まだ病床に横臥する日々が続きます。

そもそも私には離別のトラウマがありました。大きなきっかけになったのは父との死別ですが、それ以外にも恐らく、幼少期に保育園で一人で過ごしていた時間が長かった事や、その頃からあっただろう性別への違和感と友達の少なさ、そうしたものの蓄積が今のそれなのだと思います。自覚を持ったのは、若い頃に付き合っていた女性との別れでした。

悲愴感や焦燥感、絶望感、虚無感といったネガティブな感情が、まとめてドカンと心に落ちてきて押しつぶされるような感覚です。父の死の際には、どうすることもできない現実に打ちのめされて、長らく引き篭もり登校拒否でした。女性との別れの際、その時の感情がフラッシュバックして、自分の意思でどうすることもできない状況に陥りました。以後、ストーカー気質の自覚と共に、この離別のトラウマを抑えながら生きてきました。

現在の相方も、そうした私のトラウマを把握しています。相方自身にも、母との離別や壮絶な離婚の経験があり、恐らく共通の体感を持っているのではないかと、そんな気がします。だから、大きな破局を幾度も乗り越えながら、今まで仲良くやってこれたのでしょう。

こと恋愛感情に於いてこの危険なトラウマを発動させないためには、人とは極力ドライに接することに限ります。あまり親密にならないよう。微妙な距離感を意識して、人と付き合うようになりました。逆に、何らかのきっかけでこのトラウマを感じた時は、むしろ親しく接する方向に持っていた方が落ち着きます。そして時間をかけて緩やかに距離感を保ったり、徐々に離れたりして、トラウマと付き合ってきました。

人に対してだけでなく、恐らく物にも同じ傾向が見られます。ただ闇雲に収集するような悪癖でなく、一つの物に対する拘りという形です。それが、20年以上乗り続けた愛車であったり、愛用のカメラだったりします。ドールもお気に入りの一体だけ。数が増えると、注ぎ込める感情が薄くなってしまう、そんな気もします。

そんなトラウマが、昨年末に再び蘇りました。

まさか、こんな形で再現するとは夢にも思いませんでした。

そもそものきっかけは、私の苛立ちによるものでした。

相手に不用意に感情を吐き出してしまい、傷つけてしまいました。その不和を原因として、それまでの良好な関係を壊してしまいました。いっときは仲直りしたものの、私自身の感情がコントロールできず、結局離れてしまいました。

相手にも色々な事情があることは理解していますが、もっとスマートなやり方はあったはずだし、お互い傷つけあう必要などありません。本当に申し訳なく思います。

反省しながらも、どうすればよかったのか、何が正しかったのか。その答えは未だに見つかりません。

恋愛感情でなくても、こんな深い友情があるのだと驚きを禁じ得ませんし、また離別のトラウマがこれ程根深いものなのかと、逃れようのない恐ろしさに愕然としています。

不幸中の幸いですが、細い糸はまだ繋がっているようです。お互い本心から相手を嫌っているわけではないと、思えます。またいつか、あの頃のように。そんな希望が僅かながらの救いです。

論理派でクールを装っている私のそれは、ただのカモフラージュです。一見スマートな表面の奥には、抑圧された過激で熱狂的な性格が潜んでいます。何事も諦めない不屈の精神や、無償奉仕への拘り、贖罪、二律背反を抱えながらも折り合いをつけようとする性格など、いい意味で私を形成している面もありますが、当然危険な感情でもあります。それを自覚するたびに、どうすることもできない自分に、涙を流します。

幸い、普通の友達と疎遠になる程度なら大丈夫です。

或いは、時間をかけて離れていくなら、痛手も少ないです。

長い人生、まだまだ人との別れは幾度となくあるでしょう。少しは上手に離れられればとも思いつつ、でも人に対する愛情を疎かにしない、そんな難しい問題が私の今後の課題です。かつては哲学や仏教に教えを請いました。知識としては理解していても、実践するのは本当に難しいです。

車の修理代が、中古での購入価格の数倍になりました(笑)。それでも安い方だとは思いますが、何もないところからお金を工面するのには時間を要しましたね。そして来月には車検です。合計で40万円近くが飛ぶ計算です。車って本当にお金がかかりますね(泣)。

車に乗らない分のガソリン代や高速代が費用に回せますから、それだけで半分くらいは工面できます。その他、常用していた出向時の特急やライナー利用を止めて私鉄(京王線)へシフト。毎晩のワインも千円台から500円台のテーブルワイン。外食を控えて登山も原則中止。そんなこんなで約四ヶ月、車は帰ってきました。

さて車検です。整備済みですから自力で24ヶ月点検さえすれば、車検場持ち込みのユーザー車検で諸費用は皆無。重量税と自賠責保険だけで済みますが、それだけでも8万円。そう考えると、車は乗らなくてもお金がかかります。 車がなければロリィタ服とか自転車とかカメラとか、色々買えましたね…。でも登山をするにはかなり必要ですし、ロリィタでも何かと便利。スケートリンクに行くにもほぼ必須。贅沢品ですが充実した生活には欠かせません。しかし、車が戻ってきたのに諸経費のために乗れないというのも、何だか虚しいです。

車が壊れさえしなければ、こんな悩みもなかった訳ですが。まあそれを言ったら元も子もないので、やめましょう。

さて、巷はハロウィンですね。

私の子供の頃にはそんな習慣もなく、世界的にもカトリックではやりませんし、北欧でもほんの一部。盛んなのは商魂豊かなアメリカですね。日本では子供の祭というより、コスプレがメインのストリートフェスティバル、でしょうか。広く浅いオタク文化を地盤に、公でも大手を降ってコスプレができる願ってもないイベント、そんな風情ですね。

ロリィタでもハロウィンを歓迎するムードはありますが、特にブランドによって大きく差があります。確かに首都圏ではそれなりでしょうけど、地方ではどうでしょうね。ましてや、ロリィタとコスプレは水と油の関係。ハロウィンのためにロリィタをするのは、ライブだけでロリィタをするのと同じ、つまりはコスプレであってロリィタではない、という強い観念も感じ取れます。反対に、ロリィタにハロウィンのデザインを取り入れて、この時期に合わせたロリィタ服も見られるようになりました。

異質な感覚も少からずあります。だって、ハロウィンのためにロリィタを誂えるその感覚には、それまで頑なに拒んできたコスプレに近づくような違和感が、あるんです。これまでにも、仮装とロリィタをミックスさせた方々はいらっしゃいました。ただ何となく、一時的な仮装は普遍性に乏しいファッションと思えましたし、実際チープな仮装程度のそれを、ロリィタと同等に扱うことへの細やかな反感は隠せません。

結局、私自身は仮装をモチーフにしたロリィタ服を買いました。本当のハロウィン柄ですと、今月一杯しか着られません。仮装モチーフならまあ通年着られますから。

いえ本当は、ハロウィン柄も欲しかったんですよ。とても可愛いし。まあお金が、ね。

そんなこんなで、取り敢えず今月末までは自宅軟禁。自転車で、ロリ服着て近場のどこかでウインドウショッピング、でしょうか。車にかかるお金に翻弄された半年でしたが、幸い大きな痛手もなくロリィタもスケートも登山も続けられそうなので、安堵しています。もうしばらくの辛抱ですね。

前回大変好評だっただめ、今回第二段の刊行となりました。ローコストで作製したので、前回ご購入の方に限り無料配付しております。掲載画像をダイジェストで公開します。

魚眼レンズの歪みを生かした写真です。数年前に流行った犬の鼻デカ写真と同じ手法です。魚眼レンズは被写体の遠近感を極端に誇張させるだけでなく、画面の辺縁が円形に歪みます。圧倒的に広範囲な背景を凝縮させ、被写体を浮き立たせます。レンズとしては最もデフォルメ効果が強いレンズで撮影の腕を要求されますが、使いこなせたら独創的な写真を撮れます。こういうレンズを使いこなせてこそ、ですね。

今回の撮影も前回同様、後輩のカメラマンもとい、カメラウーマンに依頼しました。私が指示を出すこともありますが、腕を見込んで基本的にはお任せ。前回多数の良作を切り取ってくれましたが、今回はさらに腕前の向上が見てとれます。今回も任せて正解でした。

ライカの標準レンズ。標準レンズを意図通りに使いこなせれば、広角も望遠もその描写が自由自在です。これは葉っぱの前ボケを入れるよう私が指示した作品です。これにより、混み入った路地の奥行感を強調させます。ここで望遠レンズを使うと大失敗で、背景が大きくボケても遠近感が圧縮されてしまい、遠くの人が私と同じ位の大きさになって、平面的になってしまいます。肉眼に近い遠近感、特に人の場合は誇張しても圧縮しても違和感が出ます。自然な立体感は、明るい標準レンズならではの描写です。今回の撮影では、このライカの標準レンズが大活躍でした。

そしてこちらは、OLYMPUSのオールドレンズ50mmF1.4の作品。このレンズは前回も使いました。木蓮の一頁写真ですね。特長的なのは、絞り開放で背景がバブルボケするんですね。シャボン玉のようなドリーミーな描写です。ハイライトで滲みが発生しやすいのも特長。少しオーバー気味で撮ると、水彩画のような絵になります。

こうした特長はレンズの弱点でもあるのですが、それを長所と捉えて意図的に撮影出来れば、それは腕前というものです。教科書通りの撮影では、こんな面白い写真は絶対に撮れません(笑)

他にも味のある面白い写真が沢山撮れました。ご覧になりたい方は、是非ご購入ください(笑)

予め書いておきますが、登りたいんです。登りたくないのではありません。

まず体調。副鼻腔炎が慢性化して一向に良くなりません。呼吸や精神的コンディション、患部の痛みに影響するので、長時間の有酸素運動が厳しいんですよね。

それから愛車の長期の修理。車で巡る百名山を進めたかったのですが、これでストップ。しかも数十万の修理代も捻出する必要があり、電車での遠出や宿泊代も押さえる必要があります。通勤の交通費も私鉄利用で極限まで絞りこんでいる状況ですから、山どころではないんです。

高尾山くらいなら何とかならなくもないですが、なかなか梅雨も開けませんしね。

一応お伝えしておきますが、登山を辞めたわけではありません。車が直ったら、早速百名山ひとつ制覇するつもりです。どこかは、未定ですけど。

今はなき日本最古の写真関連会社、小西六。コニカに社名を変更後は、これまた老舗のミノルタと合併。そしてソニーにカメラ事業を売り払って終焉を迎えます。この変遷はまさしく、フィルムカメラの隆盛と衰退の歴史でもありますね。日本の写真産業の一時代を築き上げた功績はもちろんですが、残された遺産もまた素晴らしいものばかりです。

そんなコニカとは、個人的にも縁が深いですね。古くは父が愛用したカメラ「オートS」で初めて写真に写り、フィルムもサクラカラーでした。そのカメラを手に町中を撮りまくった小学生時代。そしてブロニカやニコンなどを三世代に渡ったお下がりを譲り受けて愛用し、いつしか写真を生業に生活していた頃に出会ったのが、これまたコニカの「HEXER」でした。友人のライブ撮影やモーターショーなどで活躍しました。その後はデジタル時代になり、当のコニカが勢いを失う中では縁がありませんでしたが、ここに来て再び、HEXERと出遭うこととなりました。それが、こちらです。
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古いレンズです。実は戦前の名器「バルナックライカ」用のレンズです。なぜコニカがそんなレンズを作っていたのかというと、これまたややこしいんですが、当時はライカのコピー商品が世界中で作られていました。そんな中でもレンズは高い精度を要求される工業製品ですから、カメラ本体は比較的簡単に作れても、レンズだけは難しかったのですね。ライカコピーレンズは、例えばニコンやキャノンなども作っていましたが、その一角にコニカもあったわけです。

で、なぜそんな骨董レンズを手に入れたのか? 察しの良い方ならもうお気づきですね。これ、現代のミラーレスデジカメに使えるんですね。
ミラーレスは総じてフランジバックが短く、アダプターを介することで多くのオールドレンズが使えるようになります。これまでにもそうしたアダプターは多数あったものの、ライカのレンジファインダー用レンズは難しい存在でした。理由は、フランジバックはアダプターで延長することはできても、元々フランジバックが短いレンズはどうにもならなかった訳です。ことライカのレンズは優れた資産だったにも関わらず、コンパクトな設計故にデジカメで生かすことが不可能でした。そこに謂わば革命を起こしたのが、ミラーレスだったんですね。

オールドレンズには独特の魅力があります。そもそも現代のデジカメ用レンズは、非球面やマルチコート、テレセントリック性など、高度な設計で作られています。しかしその結果、均一な仕上がりに陥りレンズの個性に乏しくなるのも否めません。オールドレンズには古き良き時代の個性、描写があります。歪曲や色彩収差といった独特の描写が、均一な性能のレンズでは叶わない、エフェクトを生み出すわけですね。

この小西六ヘキサーは、本家のライカ「エルマー」よりも描写性に優れているという評価もある、銘玉です。が、まだマイクロフォーサーズ用のマウントアダプターを手に入れてないので使えません(笑) 手に入れたら、レビューをアップしますのでお楽しみに。

ハードオフでレンズをいくつか買ってみて、急にフィルムカメラが欲しくなってしまいました。元々カメラマン時代はフィルムで腕を鍛えていましたので、慣れていますがそれにしても懐かしいですね。

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OLYMPUSのOM-10です。ジャンクですが程度の良い完動品が3000円程度でありました。早速テストとばかりに、いざ高尾山。

フィルムは八王子のヨドバシでリバーサルを購入、フジのPROVIA。これも懐かしいですね。フィルム自体はブロニカで本気撮りする時に使っていました。年に一回あるかどうかですけど。35mmは本当に久し振り。最後に使ったのは、コニカのヘキサーだったかな。

一通り撮影して、イオンモールの写真屋へ。仕上がりに10日を要する辺り、最早こんなものを使うのは老後の道楽?的な扱いに驚きましたが、それでも受け付けてくれるだけでも有り難いです。そもそもリバーサルのフィルムですら入手が難しくなってきていますし。

そして昨日、やっと仕上がりました。

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ライトビュアーが今もちゃんと使える辺りが私クオリティです(笑) これを今度はデジタル化します。その方がプリントやWebで便利だからです。昔はこの部分が専門業者の世界でしたが、便利な世の中になったものです。
以下は、フィルムをスキャンして取り込んだものです。フィルムが読み込めるスキャナももう10年以上前に買ったものですね。EPSONのGT-9700UF。ブローニーフィルムも読み込めて、リバーサルで本気撮りした写真も困りません。

1 手馴れた明るい標準レンズは使いやすいです。2

味のある諧調です。現像するまで画像を確認できないのが当たり前でしたから、失敗していてもわかりません(笑) 撮り直す必要を確認するため、撮ってすぐチェックするのが普通になってしまいましたが、フィルムには「諦め」が肝心でした。もうその瞬間は撮影できない、失敗していてもわかりようがない。故に、気持ちを切り替えてすぐ次のシーンに備える……。
アナログ写真の撮影はデジタルに比べてはるかに、一発勝負でした。西部のガンマンのような気分で、その瞬間を撃ち抜いていましたね。6 ケーブルカーに乗って、一番後ろに陣取り。高尾のケーブルの場合、写真撮影ならここがベストです。10 すれ違いです。カメラをこちらに向けてる人がいますね。14 ケーブルに乗ったのは実は訳アリで、ケーブルカーから眺める紅葉が例年凄いんです。15 最初は走る車内で慣れないカメラに少し手間取りましたが、基本AEで速めのシャッター速度ならまあいけそうだと感触を掴んでからは、こんな感じ。161820 走る車内からガシガシ撮影して、気が付いたら36枚。フィルム一本を車内で使い切りました。買ったフィルムは一本だけなので、ここでOM-10はおしまい。

カメラを手にした当初はノスタルジックで、何とものんびりしたものかと思いきや、ところがどっこい。プレビューは小さなファインダーだけでスリリングだし、AFもないからピントを常に手で合わせないといけないし、諦めとか、失敗を許容する悟りも必要です。まさに、一瞬に命をかけるガンマンでした(笑) でも思えば、このスリルが何より楽しかったんですよね。便利になり過ぎて、忘れていた感覚を取り戻した気分です。それから、現像を待つ間のわくわく感。大した写真でもないのに、楽しみでした。初めてカメラを手にして、写真の仕上がりが楽しみだった子供の頃も、そうでしたね。

さすがに仕事ではこんなことはやってられませんが、趣味でフィルムカメラを手にするのは、本当に楽しいですね。

死を賭して、というのがまかり通るのか。世間一般にそんな話が通らないことは重々承知です。安全第一、人命は何よりも優先される。そんな常識は当たり前なので、わざわざ語る気もありません。

私がまず何より彼の事を慮るなら。彼の体を最優先するのか、彼の心を最優先するのか、その二者択一に尽きると判断しました。私は、その心情を汲みました。体を優先すれば、休む以外の選択肢はありません。その場合、心に大きなダメージを負います。心を気遣うなら、体がリスクを負いますが、そちらは「可能性」に於いて絶対ではありません。ダメージと考えた場合、必然性が大きいのは、棄権した時に負う心のダメージが最も大きいと、私は判断しました。

専門家のご意見のなかには、体の心配をするなら棄権させるのが当然ともありました。脳への影響ももちろんですが、二重事故の懸念もあるからでしょう。少なくとも体の専門家がノーといえば、棄権は絶対です。それはある意味、責任問題が絡むから。即ち保身です。しかし実際にあの場に専門家が居合わせたなら。私が思うに、ゴーサインを出せたのではないでしょうか。何故なら、彼は脳震盪を起こしていなかった。最大の痛みはみぞおちへの打撲で、出血を伴った傷は大怪我だったにせよ、命に関わるものではなかったのですから。そんなの、医者なら一目瞭然です。

再開された練習で、まともにステップも踏めないほどなら、コーチが止めたでしょう。しかしそうではなかった。パーフェクトには程遠くとも、演技はできる。彼の心を気遣うなら、もうその答えは、一つしかありません。

フィギュアスケートは、メンタルの競技とも呼ばれます。膨大な時間をかけて練習を重ね、99%の精度で技に挑んでも、失敗する。練習で30%程度の精度でも、本番で成功する例は山ほどある。一度の失敗からついに立ち直れず引退する選手も数多く、故障を重ね人工関節や傷だらけの体でもなお果敢に挑み続ける選手もいます。その強さ弱さは、全て心によるものです。

何より、羽生選手は心が強い。彼なら、あの場で自分が棄権せざるを得ない体でもしそうなったにせよ、それで撃沈することもないとは思います。でも、本人が行けると言っていたのに誰かが止めたなら、果たして彼は納得がいくか。後悔しないか。

周囲の意見は、彼の体を慮るあまりに、彼の心を置き去りにしてはいませんでしょうか。責任が伴う医者ならともかく、彼が挑むと決めたその心に反してまで、今更やめておいた方が良かったなどとどうして言えるのか。私には、やっぱりわかりません。もう少し、皆様のご意見が聞きたいです。

基本的にヤエス派なんですが、他社が絶対的に嫌いとかそういうわけではないです。オートアンテナのATAS120と合わせるとか、ARTS機能があるといいとか、ヤエスならではの機能はなかなか魅力的なんですよ。何だかんだと揃えた我が家のリグ(無線機)をご紹介しましょう。

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●FT-857D
何がなくともまずはこのオールモードのモービル機。これの購入は3アマの取得を待って買いました。3アマなら移動局の最大出力50Wを見込めるからで、4アマ機を買うのは損だと踏んでいました。同時にオートアンテナのATAS120も合わせて購入。高い買い物でしたが、よくよく勉強しオールバンドを一本釣りできるこのアンテナでやっぱり大正解。下は7MHzから上はUHF430までフルカバー出来、北海道から沖縄まで交信するのもあっという間でした。香港やロシアと交信できたのも、記憶に鮮明ですね。

愛車への装着で問題になったのは、まずアンテナのアース。愛車のトランクリッドはプラスチックでアースが取れません。その為、牽引フックからラジアルマストを使って高さとアースを確保しています。現在はこの方法が使えません。理由は道路交通法が改正されアンテナ基台に安全基準が出来、このラジアルマストは不適合で現在は販売されていません。尚、発売の古い車には適用されないので、私の車は何の問題もありません(笑)

ATAS120でカバーできない3.5Mは、モノバンドのホイップアンテナに付け替えて使います。またV/Uは高利得のアンテナも何本か使い分けています。ATAS120でもV/Uが使えますが、飛びは多少悪いですね。

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●VX-3
初めは先代モデルのVX-2を使っていました。さすが世界最小、どこに行くにも持ち歩いていました(笑) 今では登山のお供に欠かせません。広帯域の受信機能も素晴らしく、山での情報源としても活躍します。特に一人登山で孤独な時など、ラジオはかなり気が紛れます。寂しい山頂でも誰かと話をしたり、もちろん非常装備としても心強い味方。よき相棒ですね。

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●FT-7800
自宅用のV/U機として購入しました。重宝したのは先述のARTS機能ですね。自宅でビーコンとして作動させておくと、モービルの857で送受信のテストができます。これは結構楽しめました。当初のアンテナX300との組み合わせでQSOパーティーや隅田川七福神などで活躍。その後アンテナをX7000にグレードアップし、430で静岡の御前崎や北茨城の常陸太田市など、なかなか飛んでくれています。

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●FT-817ND
世界的大ヒット、ロングセラーの名機ですね。ポータブルでオールモードという大変面白いリグですが、購入動機は今もよくわからず(笑) 機能の割に安かったというのはありますが。今は自宅で主に、144のSSBで活躍しています。QRPでも50km圏は申し分なく、茨城とも交信できています。HFは厳しいですけどね。
せっかくのポータブルですし、山に持っていきたい気もしますが、VX-3の小ささに慣れてしまうと難しいものがあります。ATAS25と組み合わせて、HFをやってみたくもありますね。

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●FT-450
最後に、自宅で大活躍中の愛機。これは450Dが発売された直後、在庫処分の安売りをゲットしました。DSPも使い勝手が良く、必要充分な機能で気に入っています。
アンテナを多バンドVダイポール、コメットのCHV-5にして、国内全域が快適ですね。ただVダイポールは打ち上げ角が高いので、海外は意外と難しいです。むしろモービルの方が海外通信が楽ですから、何だか変な感じです。北米、ロシアなどはまあまあ行けそうですが。CHV-5との相性は悪くないですね。アンテナチューナーの使い勝手が良く、7MHzも60k程度の範囲でSWR1.5に落ち着いています。

CHV-5だと3.5Mが無理ですから、これは近々第一電波のSD330も導入しようかと検討しています。そうすれば7MHzも全域カバー出来ますし。夜間の3.5Mは結構好きなんですよね。懐メロも聞こえますし(笑)

ラインナップはこんな感じです。今のところCWはやっていません。VoIPもデジタルもAPRSも無縁ですね。相手がいないという問題もありますが。まあフォーンのシンプレックスでも、まだまだ遊び尽くしていません。ゆっくり構えて楽しむつもりです。


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 岐神葵のぼうけんのしょ。

 岐神葵のブログらしいです。
「事実は小説より希なり」
 架空の人物の閉じた世界のありえない話なんかより、何百倍も面白いリアル体験。そんな人生を目標に、意味不明な挑戦と挫折を繰り返しています。

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