Archive for the ‘音楽’ Category
空気感ですよ
Posted 2016年8月28日
on:エアリズムとかKYとか最近何かと空気が話題ですね。漢方では気血水の「気」に当たるでしょうか。科学的な話だと気体に該当する物質の一形態ですが、ここでの空気感とは、アーティスティックな感性に於ける「空気」で、漢方の気が概念としては近いかもしれません。
生業でもある写真では、この空気感の表現というものが、難しくも結構重要だと思うようになりました。KYな写真、つまり「空気が読めない」写真は駄作で、その場の空気感が見えてくるような写真は良作。この場合の空気は、臨場感とも言い換えられます。
写真に於ける臨場感にも色々ありますが、感動をもたらすような秀作には、何かしらの共感を伴う空気感が介在しています。同じモデル撮影でも、撮る人によって如何様にも変化するのが、そんな空気感。写真の場合、目の前の光景をどう処理するかというテクニックだけでなく、実際にはあらゆる時と場所を高い精度で選択していくという、ロケハンがその要素が鍵を握っています。ネイチャーフォトは、写真家が空気を作り出すことはほぼ不可能で、専ら目の前の光景を切り取り、そこから空気感を引き出していくというプロセス。人間の意思ではどうにもならない、圧倒的な神々の存在と対峙するような、そんな感覚です。逆にモデル撮影やスタジオ撮影だと、空気を盛っていく作業で、目指すのはネイチャーフォトのその神々の存在、かもしれません。日本には八百万の神がいます。その神々を写し出す、それが空気感の真骨頂とも言えるでしょうか。
話は変わって、オーディオ。この分野でも空気感という表現が使われます。オーディオの究極は、生の音です。如何に本物の音に近づけるかが基本的なポリシーです。アナログでもデジタルでも、二次元の音の波形を忠実に記録し、それを忠実に再現させます。分かりやすい話ですと、AMラジオとCDの音の差ですね。周波数帯域の違いで、AMラジオはチープに、CDの音はリアルに聞こえます。人の息づかいや、残響音、自然なら鳥のさえずりや川の音など。これらの空気感も、写真と同様の享受するしかない神々の領域から、造り出していくアーティスティックな領域まで、様々です。
日々の仕事でも、そんな空気感が実はとても大切です。ウェブデザインやDTPでも同じで、バナナのたたき売りであれば流暢で勢いのある口上と観客を引き寄せる熱気だし、誠実、実直な職種であれば緻密さや正確さが要求されます。商品の性格や会社の風体、極めつけは担当者の人柄こそ、その空気感の要ですね。ハートが伝わるか。そんな空気です。
突き詰めれば、あらゆるもの作りの必須要素なのでしょう。東洋に於ける気とは、「気が重い」「気が晴れる」「気が焦る」「気が強い」など、人の心とも解釈できます。空気感とはさらに、人の心をも動かすもの、かとも思います。空気の空とはからっぽという意味でなく、仏教的な「空」のことと私は解釈しています。この話となると経文の解説になってしまいますので割愛しますが、四次元時空のこの世界で、時間や空間を盛り込むような、さらには超越するような、そんな構成要素がこれ即ち、空気感ではないかと思います。
モノは幸福を得るための手段でしかないですよ
Posted 2014年10月7日
on:物欲に任せていろいろな物を追い求めてきましたが、とあるネットゲームに辟易して以来、すっかり冷めてしまいました。それは結局仮想のモノでしかありません。それが得られたことの幸福など所詮空虚だと気づかされ、幸福の本質を見極めるいいキッカケにはなりましたが。
以前の愛車初代SVXは、そうした物欲では得られない、貴重な糧となりました。所詮は道具。器でしかありません
。使うのは自分自身で、そんな道具で自己が飛躍するものでもない。道具は
使い手がその能力を最大限に引き出して初めて、道具足りうる。48万kmもの長い旅を共にして、愛車はボロボロになりましたが、その旅路こそ本当の意味での宝物です。
フィギュアスケートの唯一の道具は、スケート靴。安いものではないですけど、高ければいいというものでもないです。使いこなせる技あっての靴。物欲だけで得られるものなど、何もありません。
アマチュア無線も同じ。通信できて初めて意味が生まれます。登山も、スラックラインも、写真も、楽器も、釣りも、自転車も、みんな同じです。
モノに依存しているうちは、真の幸福など得られません。それを利用し、自ら磨いていくなかから、本当の価値が生まれてきます。道具に「乗せられている」うちは、まだまだ。壁あり悩みあり苦労あり。それらを乗り越えて使いこなせるようになり、そうして初めて宝物へと磨かれていくものです。
道具が人を幸せにすることはないと知っていれば、余計なモノに惑わされることもありません。作り手であれば尚更。作り出すことに幸福があり、それを手にした人はその作り手の幸福を、ほんの少し分けてもらっているだけ。本当の幸福は作り出すことそのものですから。それは、その道具を使って得られる幸福とは、全く異質です。
モノで武装しただけの人間に、一体何の魅力がありましょう。その程度の人間は、見放されるのがオチ。それらを駆使して、如何に自分を磨けるのか。そこに、物欲を越えた目指すべき欲求を据えるべきですし、そのための物欲でなければ意味がありません。
同じところを目指していれば、いつしか志を同じくする仲間が、自然と集まってくるものです。腐れ縁でなく、義理立てでも旧知の友でもない。気心知れずとも、共通の話題と意思の疎通には事欠きません。それもまた、物欲を越えた宝物でしょう。
その話題にもまた、経験が必要です。道具の話ばかりでは、ただの自慢話にしかなりません。経験則でなければ、相手の共感などないでしょう。リスペクトはそこから生まれるものですし、道具に羨望はあっても、尊敬などありえません。
人と長く付き合うためには、物欲の先にある幸福を見出だすことが肝要かと思う次第です。
バンド活動ですよ
Posted 2014年5月27日
on:昔、バンドやってました。アニソンコピー。
ほとんど知らないアニメの曲が多くて、それでも曲はそれなりに面白くて、まあ自分のやりたかった曲の多くはボツになった記憶もあるし、色々スゴい人に根回ししたりアニメに詳しくない客も誘ったり、いい思い出とそうでない思い出が同じくらいですが、大きく成長する契機だったし、それがなければ今の自分もないですから。やってよかったです。懐かしい思い出です。
さすがに今は、アニメもゲームも最早全く興味を感じなくなったので、今更アニソンをやる気は毛頭ありません。音楽の嗜好性も当時と比べて大きく変わりましたし。
で、話は昭和歌謡バンドをやりたいという話から始まりました。新しい事がしたかったので、乗りました。某氏を巻き込んで、練習に時間とお金をかけています。そのうち活動するらしいです(人任せは大嫌いなのですが)。
言いたいことも言いたくないことも山積みですけど、楽器そのものは好きなので、練習に励みます。ライブするのかどうかもわかりませんが、その際にはこの場で大々的に告知致します。さて、誰が来るかしら(笑) 誰に声かけようかしら(笑)
若気の至りで、当時やりたかったことのほとんどが、何も出来ず終いでした。当時の悔しさは今もなお痛烈なんです。あれですよ、甲子園の砂を持って帰る気分。ま、昔話ですね。
さて、某氏はボイストレーニング真剣にやってるし、キーボードもやる気だし、ドラムを探してみるなんて話もあります。某氏は気が短いので、リーダーよろしく頼みます。
続ける、というより辞めない。ですよ
Posted 2014年3月10日
on:写真、ベース、くるま、無線、スケート、登山。まだありそうですが、確実に続けてきたと断言できるものに限っても、ざっとこれだけあります。単に辞めなかっただけなんですけどね。
辞めたと断言できるものは、ネトゲ、RPG、ミニ四駆、アニオタ(笑)など。もう心底つまらないので、誰から誘われても絶対復帰しません。
辞めなかったもの。それは自己啓発ですね。手段であって目的じゃない。いえまあ目的なんですが、俗っぽい目標とか欲するもの全てを削り取って、一体何で続けてきたのかと問えば、そんなのは自分のため。有り体に言えば楽しいからなんですが、それは安っぽすぎる。自分を磨くため、か。そう言うとカッコいいですね。でも他人に理解されたり評価されたりという類いでなく。高尚な言い方だと、修行か。自分が出来なかったこと、やりたかったこと、それが少しずつ開花して、段々と自分のものになる。そして気が付けば、始めた頃には想像もつかなかったような高みにいる。
辞めたものの殆どは、楽しいだけで終わり。ああ楽しかった。で、何も残らない。
プロセスなんかどうでもいいですが、楽しいことのためには、苦しいこともある。いえ、苦しいことがあるから、楽しい。苦しみなく楽しめるなんて、そんなの本当の楽しさとは程遠い気がするけど、でもその実、苦しみそのものもまた、楽しみなんですね。何故苦しい思いをして山に登るのか。何故雪の降る中寒い思いをして写真を撮りに行くのか。何故指がつるような難しいフレーズを練習するのか。何故微かに聴こえる声に答えようと難しい技術や用語・設備で遠距離との交信に勤しむのか。何故氷の上をぐるぐる回るのか。楽しいからに決まってます。苦しいけど。
これは生きることそのもの、でもあります。苦しいけど、でもだからこそ楽しい。誰かと競争するわけでもなく、ただ個人の平凡な、些細な苦しみと楽しみです。楽なだけの人生なんてつまらない。生まれたばかりの頃は、食べることも歩くことも喋ることも出来なくて、そんな苦しい中で唯々必死に生きてきた。そうした生まれながらのプロセスが、今生きている自分の礎です。辞めてしまったものは、そうしたプロセスが見出だせなかった、或いは継続するに値しなかったものです。
まあ所詮は趣味ですから、誰がどう言おうと、どうでもいい話ですが。でも、辞めることがなかったという自分なりの価値観を否定される言われもなく、誉められもしますが然程嬉しくもない。高みに立ってしまえば、そこは自分の居場所に過ぎず、下から仰いで凄いとか言われても当たり前のことなので。そりゃそうですよ、苦労して登ってきたんだから(笑) で、本当の楽しさは、苦労して登ってみないとわからない。
だから今まで続けてきましたし、まだまだ続けるんですね。
ベースは基本に忠実であればあるほど目立たないですよ
Posted 2013年7月5日
on:そもそも伴奏楽器ですし、最も低い音域を担当するため、メロディーを奏でることは極めて希です。基本的には楽曲のコード進行に乗せてリズムを刻んでいれば、むしろそれ以上を望まれないポジションですね。それでも細かくは前ノリ後ノリだの、ライトトーンだのヘヴィートーンだの、個性にもならない個性を磨いているのか隠そうと包み込んでいるのか、今一つ得体の知れない方向性があるようなないような。
ベースの見せ場は、そのベースのベースたる生業を如何に疎かにせず遊べるか、これに尽きます。本業は放棄できないので、しっかり仕事をしながらその上で遊ばなければなりません。とうふを運びながら峠を攻めるとか、接待と称して芸者と戯れるとか、そんな感じです。ですから、楽譜のタブ譜やコード進行だけ読んでひたすらビートに乗せるだけで仕事は完了しますけど、それなら打ち込みで十分だし、わざわざ人間が奏でる必要なんかありません。
極論ですが、ベースがベースでありながら、ベースらしからぬことをする。これができて初めてベーシストですね。
よくある傾向は他の楽器の真似とか奏法を取り入れる。ギターのフレーズを加えたり、バスドラのリズムに乗せたり、まあそれくらいのおかずは、ちょっとバンドにかじっていれば何となく思い付くところです。でもそんなのはバンドやってれば当たり前の話で、ギターやドラムと呼吸の合わないベースなんか、帰って一人でやってろと言われておしまいですからね。練習中に軽くJamってベースがおかずを加えたところギターもドラムも何の気なしについてくるけど、ギターやドラムがここぞとばかりにソロパートの如くアドリブかましてくると、手も足も出ないのがベースってもんです。ソロパートを与えられない限り、とりあえず仕事しましょうねベースは。
でも、ベース。へなちょこベースの曲は安っぽいし、コードをなぞるだけのベースなんか、ねえ。じゃあどうすんの? うーん、まあ上手なベーシストの奏法とかフレーズとか音色とか、色々聴いてみて答えを出すしかないし、そこから得るしかないでしょう。ベーシストはとにかく、ベースを聴きまくる。真似しようったって簡単じゃないですが、ヒントはたくさんあります。
本当は、音楽理論をしっかり学んでそれを根拠に音作りをするのが確実なんでしょうけど、調律に縛られず不協和音も恐れないくらいでも、いいように思うことはあります。いやまあ、その方が学術的にも音楽的にも難しいですけど。いえだからこそ、遊びという解釈なんですね。学術と理論から遊びが生まれるかと言えば、意図するところのそれは生まれないでしょう。言い換えれば、実践と経験則。
不協和音のゾクゾクするような旋律なんて、聴いたことのない人が当てずっぽうにも出来ないはずだしね。まあ不協和音でなくとも、ベースはベースでありさえすれば、何でもできます。そういう解釈でいくと、細野晴臣さんなんかすごいですね。YMOの曲にこんなのあります。
当時のYMOにしてもこのベースはなかなか遊んでますね。当初は細野さんも頑なに仕事していましたが、何かブレイクしたんでしょうか、チョッパーで色々やるのが目立ってきます。テクノとはある種機械的な音楽で、その解釈にシンセがあり、シーケンサーがあって、その時点でベースなんか自動演奏でいいわけですよ。後のTMネットワークが打ち込みだけでライブをやっちゃったりするわけですけど。でもテクノだからと何も全てを機械仕掛けにする必要はなかったんですね。生身の人間が奏でる生の音楽にも、テクノロジーが介在するんです。そういう解釈のテクノじゃないかと、細野さんのベースを聴いていて思うわけですよ。
そんな細野さんのベースの遊び心、なのかどうかはわかり兼ねますが、少なくとも冒険的な野心を感じます。YMOだからこそ持ち得た気概だったんじゃないでしょうか。その後の解散で、個々の音楽性が大きく発展を遂げたことも、それを裏付けています。
ベースを弾くなら、まず基本をしっかり学んで、それから、如何に基本を守りながら基本に逆らうか、勉強、仕事をしながら如何に遊ぶか! そんなスタンスがベースという糞つまらない楽器を、下手なライトノベルやネットゲームなんかより何百倍も面白い楽器に変えてくれる、馬鹿の一つ覚えです。
CDとMP3ですよ
Posted 2012年12月14日
on:CDプレーヤーとMP3プレーヤー。この純正ヘッドはSVXの車内の音響特性に合わせたフィックスイコライザーが付いていて、なかなか良い音です。デザインもインパネの形状と合わせてあるので、悪くないんですよね。カセットデッキというのが当時を醸し出すアイテムですね。まだMDが普及する前です。
バージョンLにはCDチェンジャーが搭載されていました。12連奏で、500マイルを一気に駆け抜ける仕様です。バージョンEの場合は1枚掛けのプレーヤーがディーラーオプションでしたが、これもSVX純正とデザインを統一したもの。シングルCDもアダプタなしで再生できます。
時代が時代なだけに古さはあるのですが、むしろオーディオは古いものも評価されるマニアの世界。デジタルソース全盛のご時世にあって、このアナログデバイスはいい雰囲気を今も保っているように思います。
愛用のMP3プレーヤーに代わり、新しくSDメモリ対応のものにしました。USBも使えますが、あのサイズの出っ張りが美観を損ねるんですよね。SDなら余計な出っ張りが最小限。しかもUSBにも対応し、これはスマホの充電に重宝しますね。16GのSDメモリにMP3を大量コピー。12連奏を遥かに越える曲数です(笑) 選曲がフォルダ飛ばしなので、この辺の利便性だけは仕方ないですけどね。
内装は残すところ、ウインドウフィルムくらいです。これも正直迷っています。リアには貼りたいけど、リアサイドに貼ると運転席とくっきり分かれるキャノピーにデザイン的な違和感を感じます。後席周囲に貼る理由も強いて感じられないので、リア窓だけで済ませるかも。
モバイルプレーヤーとヘッドフォンですよ
Posted 2012年11月17日
on:スケートや自転車、一人登山の勇気付けに活躍するのが、モバイルプレーヤー。フィギュアスケートに音楽は必須要素で、これがないとコンパルになっちゃいます。自転車では公道での使用に制限があるものの、土手道など自動車の走らない安全な道では重宝します。一人登山では、孤独を紛らすために音楽がいいですね。もちろん、状況にもよりますが。
で、プレーヤーについてはこれがなかなか難しいんですね。オールインワンでいいならスマホ一つで事足りますけど、スケートなど激しい運動ではこれが大きすぎ。今までは、USBメモリタイプのウォークマンを愛用していました。これがなかなかよかったんですけどね。スマホ依存もここまで来ると、やっぱりスケートでも使いたい。で、色々考えていました。
そして先日、突然目の前に現れた製品。30分ほど吟味して即、衝動買い。これは待ちに待った製品でした。
http://www.bose.co.jp/jp_jp?url=/consumer_audio/headphones/sport_headphones/sie2i/sie2i.jsp
BOSEのスポーツヘッドフォン。画期的なのは、付属のReebock製アームポーチ。このアイデア、ついにスマホの活路が見えました。目の前の霧が晴れて一気に想像の視界が開けた瞬間でした。
しかし買って実際にスマホを入れてみると。入りにくい(TT) しかもジャック穴がずれています。iPhone用だから仕方ないですが。何とか穴を開けてスマホのカバーを外して、装着成功。うん、悪くない。
でも出し入れに毎回苦労するし、入れたまま操作できるはずもなく。アイデアにお金を払ったと思って満足し、ポーチは大事に保存することとしました。
そうアイデア。アームポーチならいける、という感触を得て、スポーツ用品店へ。ぐりーんうぉーくのSportsDEPO。アームポーチはジョギング/ランニングのコーナーにあります。しかしこれも結局、iPhoneに準じたものばかり。残念、と思いつつ、同列にあったウエストベルトに視線が。そうか考え方は同じ。もしかしたら腕に付けるより腰の方が自然? アームポーチとウエストベルトで軽くスピンして結論。腕より腰! 最もシンプルな、ゴムベルトのウエストポーチで決定しました。
ここに至って、スマホが完全にスケートでも一体となりましたね。登山では既に必需品。GPSロガー&マッパー&カメラ&メモ帳&非常ライト&コンパス等々。残念ながらやわらか銀行は、山での通信は絶望的ですが、それ以外の機能で大活躍。バッテリー温存のため基本電波オフ。
他、自転車でも同様の機能で使えます。自転車で走る地域は基本的に電話が機能します。上記の機能に+電話な感じ。
GPSを使う場合、なるべく高い位置に装着するのが望ましいのですが、その為ザックのショルダーベルトに付けるモバイルポーチを使っています。これがとても便利。ザックを下ろさなくても出し入れできます。登山では電車移動が多く、モバイルSuicaでも楽々。乗り換え案内の確認も即座にできます。
スケートではGPSを使いませんから、高い位置である必要性はありません。リンクは基本的に寒いので、電話のバッテリーのためにも体から離さず冷やさない方がいいですから、ウエストポーチは理想に近かったですね。ついでに小銭やロッカーキーなども入れておけます。スケートは荷物を持ったまま滑れませんから。
話が逸れましたが、このスポーツヘッドフォン。素晴らしいですね。さすがBose。快適な装着感で、着けていることを忘れてしまいそうな。自転車で飛ばしても、風切り音はほとんどしません。密閉型ではないので外部の音も聞こえます。これはスポーツや自然の中での使用では、望ましいですね。逆に電車内では音漏れの可能性があるでしょうか。肝心の音質は、低音から高音域まで本当にワイドですね。まるで密閉型のようなレンジ。Boseらしいパワフルさと解像度、何だかインナーイヤーとは思えないような。衝動買いにしては高い買い物でしたが、これは良い買い物でしたよ。
このCDを聴きましょうですよ
Posted 2010年8月21日
on:SONYのMDR-CD1700ですよ
Posted 2009年10月14日
on:- In: 音楽
- 5 Comments
ビシュコフのショスターコーヴィチ交響曲第5番はいいですよ
Posted 2009年8月11日
on: