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Archive for the ‘災害’ Category

 皆様は「カギの救急車」という鍵屋さんをご存知ですよね。テレビのニュース報道でもよく取材協力している、日本で一番有名な鍵屋さんのグループ。全国に店舗があるので、検索結果では全国的に、各地の店舗が出てきます。

 ところが複数のキーワードで検索をかけてみると、なにやら怪しい鍵の救急車が出てきます。ポイントは、カタカナのカギでなく漢字の「鍵」としているところ。「鍵の救急車」はいわば類似商標ですね。鍵の110番救急車とか、鍵の24時間救急車とか、例を上げるとキリがないですが、間違いなく商標法に違反するものです。便乗商法を意図しているのでしょうけど、笑わせてくれるのは、鍵屋さんを名乗っているのにこんな露骨な違法行為をしているということですね。商標を盗む鍵屋ですよ。お客さんを馬鹿にしているし、こんな業者に鍵を託したら、何をされるかわかりませんね。顧客名簿を闇で売ってたり? 鍵のデータまで持ってますから、泥棒に情報が流れているかも?

 鍵屋さんに最も必要なものは「信用」ですよね。「鍵の救急車」を名乗っていると「私達は信用できない鍵屋です」と言っているようです。笑いを通り越して、救いようのなさに悲哀すら感じます。

 最近の検索エンジンはよくできていて、「カギの救急車」と入れれば間違いなく、正規のグループ店舗しか出てきませんが、「カギの救急車 テレビ」と入れると、こうした違法業者が出てきます。仕事柄ウェブサイトの制作に携わっていますが、こうした悪徳商法の業者は昔から後を絶ちませんね。

 とにかく扱うものが鍵なだけに、ご利用の際には皆様も充分ご注意ください。鍵屋さんの一番の売り物は「信用」のはずです。商標泥棒に鍵を任せてはいけません(笑)

 そういえば、カギの救急車に商標権に関する訴訟があったようですが、和解が成立した後に商標を変更するのでなく、会社名を変えてそのまま営業しているようですね。ひどいもんです。

「テレビで有名な鍵の救急車」と名乗る違法行為ですよ

専門家ではないので学術的な話ではありません。その旨ご承知置き下さい。

自然農法という言葉に些か興味があり、少しばかり調べてみましたが、多くの方が志向され、苦労されていることはわかりました。共通していることは、現在の化学肥料や農薬の否定、土地を荒らすような農機具の否定でしょうか。その根底に、自然の植物は本来自然が一番良い、という当たり前と言えば当たり前な考えがあります。しかし、何れも成功しているとは言い難いですね。

福岡正信さんは有名でしょうか。しかし、この農法も普及していません。量産主義の現代の農業に合わないのはもちろんですが、採取生活を越える生産性を期待するには、どうしても人間の手を加える必要があると私は考えます。広大な土地を自由に採取して回れるなら兎も角、狭い土地である程度の口数を満たすには、それなりの知恵は必要でしょう。そんなのは、日本の自然林を見ればわかります。そこから得られる、人間が口に出来る植物。必ず、食べられるものはあります。しかし、その量はあまりにも微々。採取だけで生活するなら、広大な土地を巡回しなければなりません。

学術的にも福岡正信さんのお話は面白いし、砂漠の緑化などの功績は実際、素晴らしいものだと思います。ただ、自然農法の解釈としては、確信を得ているとは思えないのです。

私が注目しているのは、日本古来から続く焼畑農法です。

http://blog.livedoor.jp/rokuten1/lite/archives/51398128.html

狭い土地で、多数の人が定住し、お腹を満たすには、最低限これだけの苦労はしなければならないという、そんな答えがあるように思います。苦労とはいえ、特別重労働というものでもない気がします。ただ自然にあるものを生かし、最低限手を加え、採取する。それだけの事です。この焼畑に比べ、水田稲作の方がはるかに手間が多いはず。米は八十八の苦労と言います。焼畑にその苦労はないでしょう。その分、収入も少ないでしょうが、ただ腹を満たすだけなら、焼畑でも充分です。

山に登り、荒廃した植林を見ると、何とかして自然の姿に戻せないものかと落胆することが多いですが、かつてはこうした植林の多くが、人の手で焼畑され、何千年も自然と共存してきたのでしょうね。時代とはいえ、植林奨励は近代の大いなる愚策だったと私は思います。広大な荒廃林、膨大な倒木、相次ぐ土砂崩れや大雨による増水、手のつかない植林が招く、取り返しのつかない自然破壊です。

現在、南米や東南アジアの焼畑が森林破壊を進めていると危惧されていますが、日本でも今の人口を焼畑で賄おうとすれば、同じことです。食料自給率など考えなくても、自然生産物のキャパシティで考えるなら、今の人口はとっくに飢餓レベルです。最早、人工的に食料を生産しないと、人間は自ずと「口減らし」を迫られるほど増えすぎてしまったのです。

逆に言えば、田畑によって人間はその数を増やしてきたとも言えます。叡知や苦労をもって、今の繁栄を築き上げました。自然農法とは、それを根底から否定するような論でもあります。即ち、それを実践する限り、自らの「口減らし」の必要性にも迫られましょう。自然農法とは、都会の人口を支えられるような、画期的な農法では決してありません。それだけは確かです。

日本古来の焼畑は、火入れをしてまず、蕎麦を撒きます。次の年は、粟や稗。翌年は雑草の背丈を越える、小豆。四年目にして雑草が影を潜め、大豆などを育てます。四年を過ぎたら、畑はそのまま自然に返し、土地の力を回復させます。再び火入れをするのは、二十五年から三十年以上のち。一年ずつ火入れする焼畑を変えながら、毎年蕎麦から大豆まで収穫できます。

もちろん、化学肥料も、農薬も、一切使いません。これで、人間は充分に生活できるのです。

縄文時代の中頃には、日本でも稲作が行われていたと、最近の調査から判ってきたそうです。水田稲作は弥生人が大陸から伝えた文化ですが、縄文時代の稲作はどうやら、焼畑だったと言われています。順序で言うなら、二年目の粟稗の頃合いが、稲作に適しているかもしれません。もっとも主食ではなかったでしょう。というか、この焼畑から得られる作物に、主食という概念はありませんね。

何れにしても、今の人口、今の文化、今の生活を支えられるだけのキャパシティを、今の地球上の自然が持ち得ていないことも明らかです。性善説だけで全てが助かるならそれほど嬉しいことはありませんが、何らかの方法で「口減らし」は必要なのかもしれません。自然の緑がなければ、車だって動きません。電気も発電できません。水も渇れます。そんな現実は、加速度的に近づいています。もう、誰にも止められないのでしょうか。

山に登って、救われる自然、守られている自然も多く目にしましたが、失われる自然も多いです。目を覆いたくなるような現実に、愕然とすることもあります。全て、人のせいです。

誤解を恐れず言うなら、取り敢えず原子力を認める私の心の奥底には、ある意味で「原発で人間なんか滅べばいい」という自戒と贖罪の念があります。原発が人を滅ぼせるなら、その後に自然は甦るでしょう。それくらい、取り返しのつかない状況になりつつあるのは確かです。皆さんもご存知でしょう。認めたくないだけですよね。仮に、そんな危機から脱出する手段があったとしても、この危機感は不可欠だと思っています。それが原点ですし。

そういう尺度での危機感を持ってしまったので、正直オスプレイとか津波とか原子力とか、ピンと来ないんですよね。死ぬときは死ぬ、そんなときなど滅多に来ない。どうせ来るならドカンと来いやと。それでもし、何億分の一の確率で自分が生き残れたものなら、その時は残された自然と共に、自然農法でもやってみたいですね。

 とある異業種交流会の方から、お仕事の依頼がありました。

蔵王高原たまご

 宮城と山形にまたがる蔵王山塊の麓に位置する、養鶏業の方からの依頼です。震災により、こちらのたまごも大打撃を受け、各方面からの支援を経てどうにか再開に漕ぎ着けたとのこと。以下、広報の記事からの引用です。

「震災前に12万羽いた鶏には、エサ不足から全ての鶏にエサを与えられず年寄りの鶏から餓死させ、全体の2/3まで減らして対応しました(これは鶏だけのことではありません)当然事業も縮小し、取引先などでも倒産するところが多く出ました。
 そうした状況の中、昨年5月初旬に、義援金がなかなか被災地に渡らないことに業を煮やした友人が同期に働きかけ62名の方から120万円を超える義援金を頂きました。更に松桜会の仙台支部を経由して同窓会からも寄付のご協力を頂きました。駒場高校の同窓生のお陰で現在も元気で働いていると強く感じています。
 つらいのは福島原発からの放射能の影響で、風評被害も響き原産物が売れず、ようやく観光客もわずかですが戻ってきていますが以前に比べればまだまだです。
 幸い、卵の場合は鶏のエサは全て輸入品ですので放射能の直接影響はありません。そこで原産物を少しでも販売したいという思いから、ショッピングサイトを作りました。」

 震災以来、何らかの形で支援をしたいと考えていましたが、自分に出来ることは限られます。可能であれば、自分の仕事でお互いが繋がり、共に利益を得られる形での支援を、ずっと考えていました。それが今回、このような素晴らしい仕事に携わることができ、本当に良かったと思っています。

 時間が経てば、震災の記憶も薄らいでいきますし、本当に困難なのは「生活の再建」だと、よく言われています。特に放射能の影響は深刻で、土地を離れての生活を余儀なくされている方々は、本当に苦労されていることでしょう。幸い直接の被害がなかった方々でも、こちらの養鶏業のように震災前の生活に戻るまでには、相当の苦難があります。

 こうした方々を少しでも助けたい。それには、何より経済活動の活性化以外にありません。売り上げが激減してしまった商売を少しでも助けようと、自分なりに携わりました。たまごの写真なども、少しでもおいしく見えるように、たまごに対するこだわりが少しでも伝わるようにと。

 WEBサイト作成・写真撮影に当たり、実際のたまごのサンプルを送って頂きました。撮影後に試食しましたが、黄身が濃くて本当においしいたまごでした。殻も固く、今時珍しい紙パックの包装からも、熱意が伝わってきました。「これは良いサイトにしないと」と思いましたね。

 たまごのネット販売は、生卵だとなかなか難しいかも知れませんが、こちらでは日持ちのする加工卵がむしろメインです。特に燻製たまごは賞味期間が3ヶ月もあり、味はもちろん香りも逸品です。

 本当においしいたまごです。ぜひ、ご賞味を(*^_^*)

秩父の盟主、武甲山。

古くからの山岳信仰の対象で、頂上には御嶽神社があります。蔵王権現を祀った御嶽神社は奥多摩の御岳山と同様、古くから信仰の対象でした。

一方で、武甲山は秩父セメントの最大の採掘場でもあります。特に昭和の高度成長の時代に、多くのセメントがここから全国的に使われました。その量は想像を絶するほど大量ですが、今の山の形を見れば、その膨大さが窺えます。

山に登ると、いつも感じることがあります。登山をして自然に触れるといいながら、その行為そのものが自然へのダメージになっていないか。土足で山に踏み入ることは結局、山を保護するどころか自然を失うことに繋がらないか。

アメリカの自然公園は、通常は一般人の立ち入りが厳しく制限されています。狼を絶滅させてしまった歴史への、反省の意図が反映されているのかも知れません。たとえ山火事が発生しても、消火活動はしません。山火事もまた、自然の現象に過ぎないからです。

日本の自然公園は、立ち入りを制限するものではなく、むしろ積極的に人間の手で守っていこうという方向性でしょうか。古来から日本人の自然観は、自然と一体になるような信仰があり、その恵みを利用し生活に欠かせない存在でもありました。ですから、そもそも立ち入り禁止にして隔離することは、自然観にそぐわないのでしょう。狭い日本で、その恩恵を抜きにできないという事情もあります。

日本人の長い歴史は、自然との難しい折り合いをどうつけるのか、それそのものでもあるように思います。捕りすぎを防ぐために、狩を禁止する神域を設けたり、子連れの親子を狩らないこと、若い芽を必ず残すこと、渓流魚の禁漁期間などもその最たる例です。自然に歩み寄りながら、その恵みを最大限に利用するために、それを根絶やしにせず守ることを怠らなかった。だからそれらが今に伝えられているんですね。

しかし、明治の近代化の流れや、昭和の高度成長の時代は、そうは行かなくなった現実があります。特にニホンオオカミの絶滅は典型的です。狼は、こちらから手出しをしなければ、人間を襲うことはありません。古くは山の神として崇められ、大切にされてきました。それが秩父にある、三峰神社の御神体として今も守られています。

この武甲山の姿は、そんな難しい自然との折り合いを象徴するような姿。町を作るということは、山を削っていくことでもあります。普段は意識しなくとも、どこかで必ず傷つく自然がある。昔は、木材だけを大切に使い、町を築きました。今は最早、自然の犠牲なくしては電柱1本立たないのかも知れません。わずか100年前は、ここまで酷くなかったようにも思うのですが。

こんな武甲山にも信仰の歴史があり、むしろそれが、山の姿を保つに至る「自然公園」になっています。ギリギリまで削られた採掘場のすぐ裏に、御神域が広がっています。裏と表、まるで日本人の心の中を透かしてみたような。ジレンマというか。

狭い国土ですから、立ち入りを制限できる自然公園を作ることは難しいでしょう。またそんな自然の恩恵を古くから利用してきましたから、そうした自然保護の形もナンセンスです。しかし急激な発展は、やはりそれ相応のしっぺ返しを伴うものだったのですね。それを止める手立ては、例えば足尾銅山の話や白神山地の話などありますけど、数は少ないです。

今回の登山で気付いたことは沢山ありますが、ふと思ったことだけ書いておきます。

消防法。かつては木造の高層建築を3階までとしていました。つまり、五重塔や天守閣を作ろうとしたら、全て鉄筋コンクリートになってしまうのです。2000年に法改正され、現在は建築できます。その頃に再建された天守閣や五重塔など、みんな「ビル」な訳です。大阪城や名古屋城など、訪れて愕然とした方も多いでしょうね。そしてそのセメントは、この秩父セメントが使われているかも知れません。武甲山の一部で作られたかも知れないということです。

木造なら、植林したり間伐したりの手間はあっても、失われることはありません。日本の古くからの建築は、決して資源を無駄にしていませんでした。しかも植物は、二酸化炭素を吸収し、川の水を溜め込むかけがえのない存在。木造建築は日本人が培ってきた、最高にして最強の「技術」ではないかと思います。武甲山の神域は、厳粛な雰囲気の杉林ですが、そんな木々こそ日本の誇るべき「資源」じゃないかと、再発見した次第です。

巷は暴風雨で大変ですね。被害が拡大しないことを祈ります。週末は山に行きたかったですが、滑ろうかな。

山でもかなりの増水が見込まれます。場所によっては大変なことになってるかも。滝なんかは水量が増えてるかもですね。川苔山に行ってみたいかなあ。あそこの瀑布は、水量が多いと凄いですからね。お手軽なところは都民の森か。あれは水量関係ないか。

地震と違って台風は、日常的ですね。それでも昔は川があっという間に氾濫して、大惨事が多かったみたいです。規模からして、東日本大震災の津波に匹敵するような被害だったり。特に顕著だったのは河川の堤防が決壊するケース。これもまあ、単に堤防だけではない原因も潜んでいますが。例えば、山林が丸坊主で、全く水源管理がされていないとか。近年でも、北朝鮮ではこの事例が発生してますけど、日本の場合、戦前~戦後にかけ物資が不足した時代と重なります。いうなれば、その台風の被害とは、人災だったとも考えられますね。

津波そのものは防げませんが、氾濫はまだ手立てがあります。水源の森林管理。これに尽きます。ダムもある程度のキャパシティがあり、氾濫を抑えられます。木々がしっかりしていれば砂防ダムはいりませんけど、杉の植林などでは土壌が痩せているので、土砂崩れが発生しやすいですね。丸坊主だと土石流になりますけど、杉の植林だと雪崩のような土砂崩れになる傾向があります。表層雪崩と似てますね。地滑りとも言うのかな。杉同士が密集していて下草や灌木が生えないため、雨が降り続くと、痩せた土地が密集した杉林を支えきれなくなります。で、地表の杉林が滑るように崩れ出すんですね。

ニュースで台風や豪雨による土砂崩れを見ていればわかりますが、その多くが杉林。逆に岩場の崩落なんかはすくないですね。皮肉にも、そうした杉林は道路や集落に隣接していて、必ず生活に影響が出ます。言い出すとキリがないんでしょうけど、台風の怖さは、そんなところに潜んでいます。

子供の頃、台風が接近中の伊豆大島で、泳いだことがありましたね。波の高さは3mくらいでしょうか。普通だったら絶対泳がなかったと思うんですが、なんと地元の子供が、その荒波に立ち向かうように、泳いでたんです。高い波が来ると潜って避けて、過ぎると平然と浮かんで、の繰り返し。なるほどと感心しながら、私も波の壁に挑みました。しばらくは、波を潜って避けましたが、そのうち疲れてきて、いきなりやってきた大波にさらわれました。波に揉まれながら岸に押し戻され、耳に入った水が東京に帰るまで出てこなかった事を覚えています。地元の子は平然と泳いでいました。かなわない……。でも、技術と体力があれば何とかなるんだと知った、小学生の夏の日でした。

こんな日本に住んでいれば、誰しも台風の記憶はあるかと思います。学校が休校になったりとか、近所の堤防が切れたとか、地下道が冠水したとか。そのくらい被害に遭ってるのに、何故か地震や雷ほどには怖くなかったり。決定的な違いは、予測できるかどうかってことでしょうね。台風は、いつ頃どのくらいの暴風雨が来るか、ちゃんとわかります。もちろん子供の頃から。その予報を支えていたのが、あの富士山のレーダーだったり、ひまわりだったりするんですね。

思い返せば、富士のレーダーも偉大です。どれ程の命を救ったでしょう。台風大国何て言うと、南の島の人に怒られそうですが、被害を防ぐための技術という点で「大国」を自負しても、的外れではない気がします。台風の夜でも、安心して床に就ける幸せ。これもまた、技術によるものですね。

 停電対策で自然エネルギーとか考えたりもしたんですが、やっぱり発電機が最強かな? 自宅の電気をある程度賄えますから。

 こういう使い方ができるのかどうか、未検証ですけど、原理的にはできるかな。まず、停電になったらブレーカーを落として、家の外にあるコンセント(防滴になってるかな)に、発電機をつないでエンジン始動。両プラグのコードが必要になりますけど、それさえあればできますね。宅内の電気配線は交流だし±は関係ないですから、ブレーカーを落としておけばこれで、電化製品に通電はできちゃいます。

 ただ、定格出力は少ないので、ドライヤーとかエアコン、電子レンジなどは無理ですね。冷蔵庫は多分大丈夫だと思いますけど、場合によってはプラグを抜いておいたほうがいいかも。テレビやラジオ、照明、パソコン、小型のモーターを使うものなどは問題ないですね。

 ガソリンさえあれば停電も怖くないと。燃料が足りなくなっても、車からガソリンを補給すればいいし。太陽光発電は夜とか曇りの日は怪しいし、風力も無風では意味なし。発電機なら、そうした悩みも解消しますね。

 現状、発電機は被災地に向けて大量生産されている?かどうか分かりませんが、通常在庫は完全にそちら向けになっているようです。当面、入手も困難。長い目で見て検討しようかな。

 エネファームなんかも燃料電池で発電できるんですが、そもそもガスが止まればダメだし、停電してもダメらしい。家庭用としては発電量が大きいし、お湯を使わないと発電しないし初期投資も結構大きいし。やっぱり発電機。

 被害にあっているところ、営業を見合わせているところ、むしろ頑張っているところなど、様々です。簡単にまとめてみます。

■銀河アリーナ×
 今のところ、全面閉館。公営であることが足枷になっているかも知れません。上から「閉館」と言われてしまえば、そうせざるを得ないかも。再開の見込みは今のところ、全くないようです。

■アクアリンクちば×
 埋立地のため、建物の周囲が液状化により、最大で80cmも沈んだようです。建物の被害はそれほどでもないようですが、空調設備や駐車場のダメージが酷く、修繕には数ヶ月かかる見込み。

■明治神宮外苑×
 ここは未確認情報ですが、天井が崩落したという話があります。ここも再開の見込みは今のところ、全くないようです。

■ダイドードリンコアイスアリーナ○
 3/17より営業を再開しています。

■シチズンプラザ○
 通常通り営業中。駐車場をボランティアに提供しており、石巻への救援物資を募っています。

■新横浜スケートセンター×
 営業休止。再開未定。

■神奈川スケートセンター○
 通常通り営業。計画停電によるお休みに注意。

■東大和スケートセンター○
 3/17より営業再開。計画停電に注意。

■川越スケートセンター○
 営業再開。

■江戸川スポーツランド○※
 昼間のみ営業(※17:00まで)。

 湾岸の、特にアクアリンクは被害が激しかったようです。明治神宮は老朽化によるものかも知れませんが、噂が本当なら復旧には時間がかかるかと思われます。銀河アリーナについては情報が乏しいものの、地震直後は営業していましたので、直接の被害はありません。計画停電による閉館とありますから、市の施設として電力確保という大義名分があるのでしょう。普段快適に利用していましたから、こういう時は仕方ないですね。

 多くの施設で営業を見合わせています。表向きにはされていないものの、それなりに被害が出ているのは事実。元々経営難だった所は、その修繕も苦しいかと思われます。アクアリンク、新横浜、明治神宮の3箇所ですね。銀河は停電によるものですから、電力の復旧で復活する可能性はあります。ただ、原子炉が元通りになるはずもなく、今年度の営業は絶望的かと、私は認識しています。

 レジャー施設は、災害の復興では最も後手に回るものです。とはいえ、円滑な経済活動こそ、被災地への支援につながるものと、私は思います。スケートにも携わる人々がいて、例外なく経済を支えています。電力消費を抑えるのはやむを得ませんが、できる限り営業を続けることが、日本の経済全体を支えることになるはずです。

 尤も、地震や津波の被害に遭った現地の施設は、壊滅的な状態です。サンピア日立は津波に遭い、笠松運動公園は避難場所として提供されています。盛岡など建物が崩壊したという話もあります。青森など計画停電により、今年度の営業を終了したところも多いです。いずれにしても、一刻も早く復旧・復興されることを願わずにはいられません。

 いえ、暇ですが(笑)

 職種によっては、こういう事態で激務になる場合も、多くあります。私の契約先でも、救急車なんて屋号のあるとこは、それはもうとんでもない忙しさだったようで。土日は技術者総出で、誰も家に帰っていないとか。

 反面、サービス業は悉く停滞。相方のお店も駅ビルの休業に伴いお休み。来月の収入が本当に心配です。幸い私の仕事は、案の定少しだけ上向き。どちらかというと、緊急対応的な側面があるからでしょうね。

 SSLの認証を取得して、HTTPSでサイト構築。PHPでCSVに書き込んで、連絡メール送信。BASIC認証にアクセス規制、ローカル保存後直ちに記事削除で、多分漏洩は大丈夫かな。穴を一通り探してみたけど、とりあえず総当りで相当の年数かけなければ大丈夫かな。

 PCメンテなんかもメール保守とか。Windows7のSPがリリースされてました。これも1時間は覚悟な作業。厄介なのは、更新中の停電で、これが怖いから時間を見ながらやる予定。今はちょと難しいですね。

 NASは不用意な停電でも多分、大丈夫かなあと。基本的には書き込み中でなければ問題ないはずだし。

 ホストも京都とかだし、停電とは無縁。関東のレンタルホストも大抵は自家発電装置があるようですし。NTTは全ての交換局に自家発電機があります。でも携帯基地局はダウンするので、携帯電話はアウトですね。光電話もONUがアウト。むしろアナログ回線のほうが使えたりして。ISDNはDSUに非常用電池が入るものなら使えますけど。フレッツTVもダウンしますがそもそもACがダウンするのでTVも関係ないですね。

 風力発電や太陽光発電でのバックアップというのも、良さそうな。売電を考えないシステムなら安価に構築できます。使い道は精々、電灯程度に限られますけど、それでもあるとないでは大違い。あ、バックアップPC専用に、自然エネルギー利用のシステムを考えるというのは、アリですね~。太陽光も風力も触れ幅が大きいから、水力とかがいいのかな。

 今日に至って、やっぱり不思議だなあと思うこと。

 スマトラ沖の大津波。これ絶対日本にも来ると思ってました。四川も、NZも、何だか明日の我が身を見るようでした。奇妙に違和感がない。それは、衝撃的な映像なのに、恐ろしく冷めた目で見る自分。事細かに、状況を分析しながら、あれがない、これが必要、ああしなきゃ、こうしなきゃ。ずっと、呟くように考えていました。

 ゆれの起こったその時。嗚呼、来た。待ってたものが、来た。まず、そう思いました。P波の長さから、直下型や近県でないこともわかり、横揺れの大きさからプレートだな、とピンときました。やっぱり、来るべきものでした。その時は、東海か三陸かは、まだわかりませんでしたが。むしろ、立川断層の直下型でなかったことで、物凄く安心しました。東京は多分、地震の被害は少ないと。

 TVをつけて、津波の情報を観るにつけ、脳裏に浮かんだのはスマトラ沖。警報は10mを超える大津波の到来を繰り返し訴え、時刻は既に到達と予測されていました。あの光景を、日本で見ることになる。

 ここ半年続けてきた山登り。このような事態を想定するわけでなく、着々と装備を揃えていました。ここに至って、非常持出用品が全て揃っていることへの、驚き。ライフラインの停止の備えは万全とは言えなかったものの、ことさら買出しなども必要なく、何が起こっても大丈夫でした。冷蔵庫には特に備蓄もないですが、非常食だけは最大5日程度分はあります。本当に、不思議なものです。

 自転車である程度出勤できるだけの体力や、その備えも申し分なく、車についてもガソリンを補給しない前提で数日間は問題ない。何も、慌てるような状況ではありませんでした。

 JRは電力供給を自前で行っており、計画停電で問題になるのは踏切のようです。これも、利用頻度の高い中央線は立川以東の高架化が完了しており、影響が少ないと思われます。立川まで自転車でアクセスできるというのも、こういう状況では強いです。

 スケートについては全く無関係ですけど、自転車や登山に関しては、この災害に対する備えとしての要素が、かなりありました。それらに取り組んできた事で、自然と対応できていました。野山で、体一つで行動することとは、災害で生き延びることと、表裏一体でもあったのです。

 原子力発電の災害は、今のところ予測の範疇です。メルトダウンはしても、大量の放射線が広範囲に広がる大事故は起こらないとは、それなりに勉強して知っていました。チェルノブイリの再来は、ない。でも建物の破損による放射性物質の漏れの認識は、ありました。それでも、大したことはない。地震のエネルギーに比べれば、微々たる物。
 絶対に誤解するべきでないのは、今の日本の原子力発電は、太陽を作り出すこととは違う。核分裂のエネルギーを、砂時計のように搾り出すシステム。炉心が壊れても、制御棒が落下することで核分裂は自ずから止まる。漏れはあっても、核兵器のような絶望的な連鎖反応は、起こりません。
 少なくとも、これだけの人口を支えるためのエネルギーは、既に原子力に依存せざるを得ません。無くなることはあり得ない。むしろこれからも増えるでしょう。その現実を真摯に受け止めて、ではどうすれば安全に運用できるのか、そのためにできることは何なのか。それを考えるのが、今の世に生きる日本人の勤めであり、今世界で求められている「最大の貢献」になるはず。もう、後戻りなんてできないんですよ。

 なんてのは、地震が来る前からずっと考えていたこと。今の社会は、発展を続けなければ滅んでしまいます。発展を続けるために、エネルギーは常に確保しなければなりません。残念ながら、もう原子力なしでは、人間は生きていけません。それに代わるエネルギーが、ないのですから。

※90年代のOVAアニメジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日では、原子力に代わるシズマシステムにはとんでもない欠陥がありますけど。

 不思議な「虫の知らせ」かどうかは、今もわかりません。ただ言えることは、自分には何らかの意思か、或いは不可思議なベクトルが働いているような? そんな思いを否定することが、全くできていないわけです。

 追記
 私が惨事を冷静に見ていられたり、災害に対して冷静に対応できる理由。それは、近親者の多くを既に亡くしているからですね。身近な家族はもちろんいるのですが、4回も5回も別れを経験し、それを乗り越えることに慣れているからでしょう。

 むしろ、生き続ける事の方が、難しいのかも知れません。目の前の死より、残された者の生き抜く苦労。その方が何倍も苦しかったり、悲しかったり。

 死は、現象でしかない。むしろ残された者の、苦難の始まりでもある。泣き言なんか、言ってられないのが現実でした。だから、生き抜くことに対して真剣になるし、死を冷静に客観視してしまうのでしょうね。

 今日は山に登るか滑るかの予定だったんですが、我が国が大混乱なので謹んで自宅待機。思うところは色々ですが、災害先進国としての対応状況は感慨深くもあります。スマトラ沖や四川などの巨大地震に並ぶ大災害だったにも拘らず、特に津波の被害から逃れた避難者を考えると、これは誇るべき英知です。素晴らしいものです。もしこの人達に津波に対する備えや認識がなかったとしたら……。そう考えるだけで、ゾッとします。

 津波に強い家は、やっぱりヘーベルハウスでしょうか。1階より2階より3階。木造家屋のほとんどが津波に浮かんで、流されています。鉄筋の建物は被害を免れているものが多数あります。これで万全とは言い切れませんけど、海岸沿いで津波の危険性があるなら、木造よりはコンクリートの建物が良いかも知れません。1階より2階より3階。

 3m程度の津波に備えた防波堤が、三陸海岸には備わっていました。今回の津波は、この防波堤を乗り越えています。想定外だったのは仕方ないですし、1000年に1度未満の頻度の巨大地震を想定して、高さ10mの防波堤を築くのもナンセンスでしょう。これが災害に対する備えの難しさでしょうか。

 大規模火災に対する備えとして、阪神大震災の頃に強く叫ばれたのが、消防飛行艇。給水が困難になり、道路も寸断されると、消火活動が不可能になります。阪神で切望されたのは、空からの消火活動。ヘリで消火する方法もありますが、消防飛行艇には敵いません。ヘリは人命救助に使うべきだし、消火の為の飛行艇という備えは、大規模火災に際して決して無駄にはならないはず。たった1機あるだけでも違うはず。

 通信インフラが厳しい現実で、やっぱり携帯電話は全く役に立ちません。通話よりもメール、メールよりもツイッターが、効率よい連絡手段です。ローカル通信なら、やっぱり無線が最強ですけど。何せ携帯電話も、バッテリーが切れたらアウト。乾電池で使える無線機が一番使える通信手段になるかも知れません。

 生活インフラで一番重要になるのは、水。私の近所でも断水しましたが、水が止まるのはかなり深刻です。まずトイレが使えなくなります。飲み水よりもトイレです。お風呂に水を溜めておくのは大原則。これで数日間トイレは大丈夫。顔や手、洗濯物を洗うのにも使えます。飲み水は、飲料水の備蓄があればベストですが、買いだめでもしない限り難しいでしょうか。私も急いで、ペットボトルの天然水を買いに走りました。売り切れたらアウトですね。

 電気・ガスならまだ何とかなります。これは登山用品がそのまま非常持出用品に化けます。私の登山用具は、全てザックに入れてあり、いつでも山に出かけられるようにしてあります。中にはヘッドライトやLEDランタン、非常食に携帯食、簡易コンロに防寒具、雨具まで詰まっています。非常持ち出しの想定なんて全くしていませんでしたけど、よくよく考えれば、これを持って行けば数日間は生活できます。サバイバビリティが高いですね。

 車は全くダメですね。津波に流されるし、波に曝されるともう動かないでしょう。返って自転車の方が、いいかも知れません。今回の都心の帰宅困難者も、タクシー代をかけるより自転車を買うほうが安い?かどうか知りませんが、自転車を買って家に向かう人も多かったようです。自転車は災害時にもかなり威力を発揮します。電車より車、車よりバイク、バイクより自転車、でしょうか。

 あとは、災害はいつ起こってもおかしくない、明日起こっても大丈夫、という心構え。慌てることなく、しかし迅速に対応するためには、災害時の対応を頭の中だけでもどうすればいいか、描いておくことですね。想定していない大災害で、慌てるなというのも無理な話。でも、こうなったらこうすればいい、そんな考えが頭の片隅にあったなら、全然違うはず。

 そんな想定こそ、大津波警報で慌てることなく非難した多くの方々に共通する、考えだったと思うのです。


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 岐神葵のぼうけんのしょ。

 岐神葵のブログらしいです。
「事実は小説より希なり」
 架空の人物の閉じた世界のありえない話なんかより、何百倍も面白いリアル体験。そんな人生を目標に、意味不明な挑戦と挫折を繰り返しています。

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